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日本のステキなレンガの建築 vol.2

旧万世橋駅

中央線の神田~御茶ノ水間にあったという旧万世橋駅の遺構が再開発されて一時巷でニュースになっていましたね。

旧万世橋駅

現在あるのはホーム跡というか鉄道高架部分になるわけです。ばっちりレンガ積み。 興奮します。

コーニス部分

コーニス*下のデンティル*調に組まれたレンガに目が留まります。全体のパターンもイギリス詰みになっていますね。

コーニス(cornice)とは、、、
建物を雨水から保護するために突出し,軒先の線を明確に形づくる役目を果す。現在では建物の最上部にあって壁面より突出した装飾的な水平帯をいうが,機能は古典建築と同じである。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

デンティル(Dentil)とは、、、
《建築》歯飾りコーニス(cornice)の下の、小さな直方体が歯のように横に連なった飾り。

Encyclopædia Britannica Eleventh Edition

そういえば以前に写真を撮った有楽町駅付近の高架下も・・・イギリス積みになっています。

有楽町駅付近の高架下(イギリス積み)

駅舎はどんなだったのだろう?などと思ったらこのような豪華な駅舎。

なんと東京駅か!と見紛う雰囲気。素晴らしきかなれんが建築。
やはり辰野金吾の作品でした。
東京駅ができるまで中央本線の起点駅で賑わう豪華な駅舎だったようです。
と、いいますか 賑わう万世橋界隈目指して鉄道が延伸した というのが正解のようです。
元は途中駅でなくて起点駅だったのですね。

旧万世橋1912階段

再開発された「mAAch ecute神田万世橋」の中ですが、このように当時の跡が公開されています。

当時新素材だったコンクリートの踊り場

1912年(明治45)、万世橋駅開業時に作られた階段で、
鉄道博物館(後の交通博物館)開館から1943年(昭和18)の駅の休止まで
ホームから直接入館できる来館口として。
階段は花崗岩や稲田石を削りだしたものですが、
踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、
壁面のタイルも覆輪目地(ふくりんめじ)
という高級な仕上げ という説明がありました。


覆輪目地仕上げのメトロタイル

ところで万世橋駅の前に架かる万世橋ですが
元々1872年(明治5)に完成した際は萬世橋(よろずよばし)と命名されたものの、
次第に「まんせいばし」と音読みが一般化したそうです。
後に現在の位置に掛け直されたものの
1923年(大正12)の関東大震災で被災し
1930年(昭和5)に石及びコンクリート混成のアーチ橋に掛け直されたものが
現在の万世橋だそうです。

色々調べてみると面白いですね。

水路閣

水路閣

琵琶湖から南禅寺横を通り京都市内へ続く琵琶湖疎水の水路橋です。
千年の都であった京都。
明治維新、東京奠都(てんと)などで京都の人口が減少し、産業も衰退した。
復興の為に水運や灌漑などの意味をもたせたこの疎水を計画・建築したものでしたが、
途中で水力発電の有利性が注目され日本最初かつ世界で二番目の事業用水力発電所を造り日本最初の一般用の電車となった京都市電を走らせるなど、
京都の近代化に大きく貢献したとされています。

第一期工事は莫大な費用(市の年間予算の2倍とされる話と十数倍かかった話しと諸説)をかけ、
明治18年(1885年)に着工しほとんど人力だけの難工事のすえ竣工は明治23年(1890年)。
大規模な工事は外国人技術者頼みだった中、日本人のみの手で設計、施工されたもので土木技術史上極めて重要な事業であった ということです。

ここでは写真のように西欧風のデザインで建築された水道橋を見ることができます。
これがまた周りの風景に絶妙に溶け込んでいます。

ここもまたイギリス積みになっていました。
レンガがアーチに連なり、コーニス下には蛇腹の飾り積みが見られ壁面の三角形状の飾り積みも楽しいです。
レンガは四角なのになぁと、ふと思いました。
こういう装飾は設計の技なのか、それとも職人さんの気概なのか。
古の寺院の中にこのような近代建築物があり、それが違和感無く、
もしかしたら建築当時は反対もあったのかもしれませんが、
結果的に現在では素晴らしい景観となっていることに感動。

この水路閣、現在では京都市指定史跡に指定されています。


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