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リリアン

今日、7月18日は、リリアン、という
私がマダムリリアンという名前を名乗るきっかけになった方の命日です。

別に、暗い話をしたいわけではないのです。

ぜひ、リリアンという人の一生を、
これからも記憶し、祝福したい、
という気持ちを込めて。
あわよくば、1人でも多くの方に思い出していただき、知っていただきたいという気持ちを込めて。

リリアンは、素晴らしい人でした。

京橋は〜
ええとこだっせ
グランシャトーが、おまっせ!

のCM

関西人なら一度は観たことがありますでしょうか。(Z世代以下は知らんやろうけど。。)

の、グランシャトーのCMのおっちゃん(おばちゃん?)です。

おっちゃんかおばちゃんかわからん、というのは、
オネエタレントだったからです。

かつて、やしきたかじんさん、と、よくテレビに出ており、北新地でマダムリリアンというお店をし、
当時まだオネエがそこまで認知されていなかった頃から、その世界で名を馳せ、テレビの世界でも人気になった方です。

わたしがリリアンと知り合ったのは、
リリアンの命が尽きるおよそ一年前のこと。

リリアンは闘病中でした。

わたしは医者で、リリアンは闘病中。

ふとしたことから仲良くなりました。

ラジオやテレビにたくさん出ていた頃の、
みなさんお馴染みのガラガラ声で、
たくさん話しました。
(っていうか私が話す間を与えてくれなかったからほぼリリアンが喋ってました)
しょっちゅうご飯に誘われ、
わたしもそれなりに多忙だったので、
病院でパンを一緒に齧るだけのこともあれば、
コメダ珈琲のサンドイッチを食べたり

わたしがお世話になっているお店に一緒に行ったりもしました。
リリアンはまだまだ美味しいものをわたしに紹介したかったようだけど、わたしも時間がとれず一緒にお伺いできなかったお店がたくさんあり、
そこにはリリアンの死後、行くようになりました。

病気してもこんなに喋るんや、というのと
病気してもこんなに人のために動けるんや、というのとが当初のリリアンへの感想です。

リリアンはわたしに会う時には待ち切れないくらいのパンや、海苔や、美味しいものをなにかと持たせてくれて、
ただただマシンガントークを披露してくれ、

医学的な相談をされることは
全くありませんでした。

その病気のために、
7月18日に亡くなり、


当時はコロナがまだまだ真っ盛りで
面会も思うように行けない時期で、
ご家族やご友人と
満足いくように会えることなく、
リリアンは亡くなってしまいました。

わたしはたまたま医者なので、(リリアンとの付き合いに関しては医者と患者ではなかったんだけど)
亡くなる少し前に何度か会えたんだけど
リリアンはその時も、人にしてあげたいこと、
について、ずっと考えていました。

例えば、お世話になった病院のスタッフに美味しいものを差し入れようとしたり
(しかもリリアンの差し入れってとんでもない量なのです)
わたしにおせっかいをやいてみたり、
自分が昔行ったことのある小さな島に貢献するためにアンタなんかやりなさい、だったり。

亡くなる直前の一度だけ、弱音を吐いた姿を見ましたが、それ以外はずっとマシンガントークでした。

気力だけで生きてるわこの人、と思う勢いでした。
人に与えるものがとにかく多くて、
愛に溢れた人でした。

リリアンの魅力をうまく伝えることができなくて悔しいのだけれど、とにかくエネルギッシュで人を嫌な気持ちにさせることなく、愛を惜しみなく与える人でした。

あんな大きな愛で生きている人は、
後にも先にも会ったことがありません。

7月18日

リリアンは、今でいいや、と自分で納得したタイミングでその一生を閉じたように思います。綺麗に、整理をして、綺麗に、静かに、亡くなりました。

リリアンは仲の良い友人にもほとんど病を告げずに、静かに亡くなりました。

亡くなる少し前に、鶴瓶師匠とももクロさんの番組にゲスト出演したのですが、
その際にも病気のことは一切伝えていなかったそうです。

テレビの向こうの方達は
リリアンが末期であることを勿論知らず、
元気そうやな、と言われていました。

わたしはリリアンがもう長くないことを知っていたから、それでもこんなに元気にテレビに出るんだ、と驚きながら、涙ながらに番組を視聴しました。


末期の患者さんに対して、意外かもしれませんが、具体的な残された期間を明確にお伝えできることは多くありません。 

それは、どれだけ超低空飛行でも、 
想像より長く生きられる方もいる一方で、
予期せぬ合併症で想定よりずっと早く亡くなってしまう方もいることや、

期間に対する捉え方も人それぞれなので、
安易な発言をしにくい医師側の精神的な迷いなど

様々な要因があると思います。

これについてはわたしも
常にモヤモヤするポイントでもあり、
もっと、具体的に、もしかしたらこれくらいかもしれない、という期間を伝えてあげなくて良いのだろうか?
もう長くないことを、この方やご家族は本当に認識しているのだろうか?
どう話すのが、目の前の方にとってベストなんだろうか?
と悩むことも多々あります。

リリアンも、かかっていた病院から、
煮え切らない、なんとなくの、
予測生存期間を説明されていたようです。

それでも自分なりに悟っており、
着々と整理を進めていたようでした。

それを、医者としてでもない、
ましてや、長く付き合った友人でもない、
家族でもない、
何十歳も歳の離れた友人として

でも医者だから予後の検討がついていて
ただ見守るしかないわたしは
ものすごく悲しくて、やるせなくて、
悩ましい日々でした。

頭ではわかっていたけど、
もう無理だと思っていても、
とにかく明るい話題をだして、
もうすぐコロナが落ち着くはずだから
そしたら旅行に行こう、とか

叶いもしない話をするしかなかったこと、
会った後は涙してしまったことなどを
覚えています。

リリアンは亡くなる少し前まで、
ものすごく筆まめでした。
しょっちゅうメールや電話をくれたり、
葉書をくれたり、
わたしが激務のせいで体調を崩していると知ると食べやすいスープの缶詰を送りつけてくれたり、
冬になると手袋をくれたり、
年度が変わって転勤し引越ししたらお祝い!といって立派な絵画を送ってくれたりしました。

リリアンにそこまでしてもらえるような理由はわたしにはなにもなかったと思いますが、

もしかしたら、
長い友人にも病のことを隠し、
気丈に振る舞っていたリリアンが、
病のことを分かった上で付き合えて、
気軽に話せる相手として、
そして、なにより、
これから先を応援してあげたい、
と思える相手として、
彼の生涯の最後の方の大事なポジションを与える人として、認めてくれていたのかもしれません。


わたしはなんとなく夜の世界に憧れがあり、
研修医の頃から北新地に出入りできるように心がけていました(と言っても食事に行くくらいですが)

それが、北新地のレジェンドのようなオネエと友達になり、彼の最後の一年の、たぶん、割と多くを占める立ち位置になるとは、思いもしなかったです。

みんなに愛されたリリアン。
死後、グランシャトーのCMで追悼コメントが表示された。

わたしと出会うまえからずっと、
北新地でも、どこででも、
リリアンはパワフルで人におせっかいを焼きまくり、みんなから好かれていたのでしょう。

リリアンは亡くなってからも強力で、

死後何年も経って、コロナが明けた途端に
リリアンのお友達だった方と何人も知りあいました。

リリアンが引き合わせてくれたのだと思います。

そして、
普通だったら知り合えないような著名な方や、
たくさんの社会の大先輩と一緒に

リリアンがまた行きたいと言っていた島に、
1週間程度の旅をしました。


生前リリアンが言っていた、
島のためになることを、という遺言を叶えるべく。

リリアンが言っていたことだから、
という理由だけで私がゴリ押しし、
10人もの集団で、
徳之島と奄美大島のツアーを敢行できたのです。



そのうちのほとんどの方は、
徳之島や奄美大島に来たこともなければ、
どこにあるかもよく分かっていなかったのです。
ただリリアンがまた行きたいと言っていた島であるということと、
リリアンの遺言を実現したいというわたしのゴリ押しによって、どこにあるかもよくわからない島に来てくれたのです。

その結果、


とある超有名人(リリアンの友達)の講演会を
奄美大島と徳之島の、

二つの島で実現しました。
離島ゆえに触れる経験に制限がある島民の方達に、何十年も世界で活躍している方の本物のお話を、
直接感じていただけるように
魂を込めて準備をしました。

講演会の聴衆は数百名の島民。

わたしのような若輩者で素人の企画でしたが、
結果的に大成功で、
多くの方から感動の声をいただきました。

色々と苦労は挙げればキリがないほどでしたが、
きっと想いは伝わったし、皆さんの人生を少しでも豊かにできるきっかけになったのではと
そんな感動的な、1週間でした。

なにより、こんな出来事に携われて、
苦労も含め素晴らしい経験をさせていただけて、
わたしの人生で1番の大仕事でした。


何気ない場所のパパイヤに感動したり
徳之島の闘牛を見学してみたり


死後数年経ってもなお、
多くの人を動かす力のある
リリアンのおせっかいに、わたしも、
リリアンの友人たちも、
まだまだ踊らされている日々です。

今でも集まると、リリアンの話をよくします、
リリアンはこの辺で見てるんちゃうか、
なんて話になることもしばしば。


リリアンの最後の日々を思い出すと、
生きることとは?
死ぬこととは?
人に愛を与えるということとは?

について、思いを馳せ、
痛いくらいに彼を尊敬してしまい、

忙しい日々の中で曇ってしまう心が
すこし しゃんとして、
綺麗になるような気さえします。


日々目先のことにとらわれて、
心が苦しくなることもあるけど、

リリアンのことを思い出すと
ハッと目が覚めて

わたしもあんなふうに、人に大きな愛を配れる人になりたいと、思わせてくれます。

今日は、リリアンが亡くなった日。
でも、生まれ変わってもっと強力な何かに生まれ変わっているかもしれないな、と
まだくっきりとは見えぬリリアンの魂に想いを馳せる日でもあります。

散文ですが、
彼の素晴らしい人生を、より多くの人に知っていただきたく書きました。


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