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サッカーと過ごした10年間⑤見ているだけの小学校最後の公式戦

はじめに

 ボールを蹴っても上手にプレーできずにコーチに怒られ、試合後は相変わらず走らされる日々。サッカーを始めた環境は3年生から変わらず、気持ちよくサッカーをできなかった。

 そんな中で私も6年生になり、サッカーを始めて4年目に突入したのであった。

「自分もこんなプレーができるようになりたい」
「こんな大きな声援を送ってもらえるかっこいいサッカー選手になりたい」

こんな思いはもう、とっくの昔から消えかけていたのであった。

 小学生編ラスト。


(罰)走の日々

 6年生の1月ごろから、県内で最後の大会が開かれる。その大会に向けての最後の1年が始まった。基本平日は1対1中心のきつい練習、土日は両方とも練習試合に行き、長期休みはほぼ毎日試合や遠征などでつぶれた。

 ある時、コーチが「ここから追い込むため、さらに走る」といった。

 このときから練習や試合の後の走りに加え、試合と試合の合間にもコートの周りをひたすら走った。時にはグランド1周や会場に来るまでの坂道、行き帰りの道を走って移動することもあった。

 勝てば走る量が少しだけ減るが、負ければ帰宅までぎりぎりの時間を走らされた。足を止めていいときは、次の試合に向けて話す5分程度と昼食の10分のみ。ただ、ただひたすら走り続けた。その異常さは、他会場のコーチやチームの保護者が止めに来るほどだった。

 何人かはけがをし、何人かは途中で吐いてしまうこともあった。そして、あまりの辛さに試合に来ない友達もちらほら出始めた。それでも「辞めたい」といえる雰囲気ではなかったこともあり、私も含め全員がひたすら走り続けた。

やっぱ出たくない

 また、この頃から、ゲーム内もさらに激しくなった。周囲には激しい口調で言い合い、時に罵り合うような声が聞こえてきた。

 私は5年生の武者修行を通して少しボールを触れるようになったとはいえ、相変わらず下手なままだった。最初はレギュラーを目指して必死にボールを追いかけ、コーチや友達からのきつい言葉に耐えながら練習していた。

 しかし、だんだんと苦痛になってきた。何かあれば「下手くそ」とコーチに言われ、周りの友達もコーチの言葉をまねして私をけなしてくる。

 こんな状況下でたまに交代で試合に出てみると、異様な圧を感じる。ただでさえ下手な私はさらに萎縮してうまくプレーできず、そのプレーを見て周りからさらに文句を言われる。この空気がとても嫌だった。

 「試合に出たい。うまくなりたい。でも、うまくなって試合に出ると周囲からは…」

試合に出るのは怖いし、試合には出ずにベンチから見続けていた方が楽で、コーチからも友達からも何も嫌なことを言われなくて済む。

 このころの私は、本当に試合に出たくなかった。早く卒業(卒団)できないかなと思っていたほど辛い毎日を過ごしていたのだった。

最後の公式戦

 時は過ぎ、迎えた最後の公式戦。私は、1・2回戦は出場できたが、以降はベンチを温める側だった。

 もちろん、少ししか出場できない悔しい思いも少しあった。しかし、自分の心の中では、試合に出なくてほっとしている割合が大きかった。

 3回戦以降は今まで出場できていた分の悔しさがあったが、こんな感情は試合を勝ち進むにつれて消えていった。早いボールスピード、どろどろのグランド、怒号が飛び合うピッチとそれを煽るように参加するコーチ…。

 複雑ではあったが、ベンチにいることで多くの人に見られず何も言われない、攻撃の対象とならないという安心感があり、別に出なくてもいいと思っていた。

 結局、チームは最後まで点を重ね、ベスト8まで勝ち上がったのだった。

応援

 こうして準決勝進出をかけた試合を迎えた。相手は毎年上位に残る強豪クラブであった。

 当然この時もベンチだった。この時もベンチから試合を見る安心感があった。しかし、今回は勝ち上がるにつれて増えてきたギャラリーに目がいき、ベンチにいる自分が少しだけ恥ずかしく感じた。

 試合はこれまでとはまったく違い、序盤から完全に相手の流れであった。まったくボールに触れず、相手陣地に侵入できない。そして、今大会で初めて先制点が奪われ、結局前半で3点取られた。

 ハーフタイムで立て直しを図ろうとするも、まったく歯が立たず、さらに1点をとられた。誰もが口にしないものの、全員が敗北と6年生大会の終了をうすうす感じていた。

 残り10分、出場している友達は目線が下がり、走ることもままならず、うまくボールを運べない。負けでいいから早くピッチから出してあげた方がいい、そう思うくらい疲弊していた。

 私はこの姿をアップゾーンから見ていた。そして残り15分になったとき、私は無意識のうちにホイッスルが鳴るまでひたすら声を出して応援していた。

 「ドンマイ、次!」
 「相手陣にボールを運べ!シュートで終われ!」

小学生6年生のわりになんてことのない、中身のない言葉を、心の底から、喉がガラガラになりながら精一杯出していた(らしい)。

 本当に無意識だった。

 自分が声を出していたとわかったのは、試合終了の敗北を知らせるホイッスルが鳴った時とその後コーチから声をかけられたときだった。

 ベンチにいる他の友達はただ黙って試合を見ていた。周囲の保護者や別のチームの子も特に気にすることなく、ただぼーっと見ていたのであった。

試合に出ている友達のプレーが、無意識に応援させるくらい、私の心を動かしたのであった。

 幼いころに試合を見て感じたこと、

「自分もこんなプレーができるようになりたい」
「こんな大きな声援を送ってもらえるかっこいいサッカー選手になりたい」

を思い出した。彼らの懸命に戦う姿が私の心を動かしたのであった。

 そして、私はここ数年間でサッカー選手としての軸を見失っていたことをここにきて気づいたのであった。

ミーティング 

 試合後の荷物置き場に移動するとき、コーチがそっと私の肩に手をおき、少し悲しげな表情で話した。

 「試合が良くない時でも、お前だけ最後まで応援したな。お前の声はよく響いていたよ。」

 ミーティングの際、コーチは負けた試合の振り返りと共に、今までひたすら走って鍛えたことが上手く結果として出なかったことへの頑張りとその悔しさについて話した。

 その後、私の必死で応援していた姿を全員の前で話した。

 試合に出ていた友達は悔し涙を浮かべながらコーチの話を聞いていた。ベンチにずっといた友達は悲しげな表情で話を聞いていた。そして、あの鬼コーチもまた、目に涙を浮かべながら話をしていた。

 私はチームとして負けた悔しさとこの場で自分のことをみんなの前でほめてくれている嬉しさの混ざった複雑な気持ちで話を聞いていた。少なくとも、この時点では泣いていなかった。

後悔

 試合後、いつも試合に出ていた、きつい言葉を使う怖い友達が、今回だけは涙ながらに私に話しかけてきた。

 「お前の声はピッチからも聞こえてきた。本当に力になった。勝たせてあげられなくて…ごめんな…。」

 この時に私は、初めてみんなの前で涙を流した。

 だが、この涙は彼の優しい言葉が引き出したものだけではなかった。

 4年間サッカーを続けた結果、結局ほめてもらったのは応援で、サッカーをしているときではなかった。そして、最後は自分はただ声を出すだけの「勝たせてもらう」立場の人であった。何より、これまで自分は「試合に出なくて安心している」弱い人間であった。

 試合に負けた悔しさと、その何倍もの自分への愚かさや恥ずかしさが募り、それが涙としてあふれてきた。

 私はサッカーから逃げていたサッカー選手だった。

おわりに

 その時が、今更ながら、はじめてサッカーが上手くできないことへの悔しさを感じたのであった。その分、向上心が一番強くなった瞬間であった。

 次サッカーをする環境は、県内で1・2を争う強豪中学校。ここで、この悔しさを晴らし、試合に出て活躍したい。何より、

「こんな大きな声援を送ってもらえるかっこいいサッカー選手になりたい」

この思いは変わらなかった。

以降、中学生編に続く。


たくさん走らされたことも、今とはなっては、いい思い出です。

習い事をしている方、悔いのないよう、がんばってください。


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