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真夏の庭の片隅で

子どもの頃、ある人からアサガオの種がたくさん入ったジャムの瓶を頂いた。

その瓶には、なぜか水が入っていた。最初から入っていたのか、瓶を貰った後、自分で入れたのか憶えていない。

しばらく机に置いていたが、いつの間にか、真っ黒なドロドロした液体と化した。 

何だか汚く感じたので、庭の隅にその液体を撒いた。

砂利が混ざった土の上。木のそばに。

確か5月頃だったと思う。

それっきり、その種の事は忘れてしまった。

それから数ヶ月が経った。

真夏になり、何気なく庭の隅を見ると、綺麗なアサガオが咲いていた。

私が撒いた種だと思われる。

いつの間にか、赤、青、色とりどりの花を咲かせるまでに成長していた。

特に水をやったりもせず、誰にも言わず、そこに捨てたことすら忘れて放置していたにも関わらず。

ドロドロの液体に形を変えて撒かれた種は、知らないうちに見事な姿となって目の前に現れた。

これは自然の底力。

人間も同じかも知れない。

生まれる場所は選べなくても、置かれた場所で人知れず努力して、気づいた時には遥か上にいる人がいる。

そういえば『置かれた場所で咲きなさい』という名著があった。

置かれた環境を最大限に生かして花を咲かせる。

それ以外の生き方を知らないあのアサガオが、生きる姿勢を教えてくれた。

置かれた場所721


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