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行先

自分が「好き」だと思っていたものを「もしかしたら好きじゃなくなってしまったかもしれない」と気付く瞬間がいつも悲しい。

それはいつも突然で、ふとした瞬間に降りてくる。なんでもないものなんてひとつもないはずなのに、ある日ふとなんでもなくなっていく。

溢れる好きを詰め込んだはずなのに、ぱちん、と割れるそれは、まるで空気を入れすぎた風船のようだ。

ここじゃない故郷

最近はずいぶんと忙しい。
体調を崩したり帰省をしたりしていたこともあるが、なんとも落ち着かない。近々、パスポートを作りにいかなければいけない。必ずやらなければいけない予定に追われることはいつまで経っても苦手だ。

パスポートを作るためには戸籍が必要だったので、地元から取り寄せるために市役所に電話をかけた。聞き慣れていたはずの話し言葉は、久しぶりに聞くとやはりずいぶん訛っていて、自分のルーツがこの大都会に無いことを思い出させる。

「郵送でよろしかったでしょうか」
「2,3日で届くと思います」

マニュアル通りのやり取りをして電話を置くと、あっという間に東京に引き戻される。デスクトップに向かうすべての人に生まれた場所があって、何十年という人生があることはいつ考えても不思議だ。私は、私の人生しか知らない。当たり前である。


かくいう私の人生はというと

「転職するんだよね」
「結婚することになった」

この1年で何人から聞いただろうか。
私たちは紛れもなく、ライフステージの転換期に置かれている。焦りもしないが、呑気にしてもいられない。人生のエスカレーターは止まらない。混雑するエスカレーターから降りて、「まだ若いんだからなんでもできるよ」という言葉の階段をゆっくり登ることもしてみたけれど、どうにも息切れをしてしまう。たとえ混雑していたとしても、なるべく周りと同じペースで自分の人生のフロアを探して乗り換えていくしかないのだ。あとから振り返った時に、生き急いでいたなと思うくらいがきっと後悔しないはずだから。

とはいえ、周りの幸せは祝えれど自分がその年代の当事者であるという意識は非常に低い。地元と東京では、時間が流れるスピードもかなり違うように感じる。どちらが良いというわけでもなく、「私は今どこにいるのか」を時々見失いそうになる。

人生100年時代、4分の1が過ぎてやっと分かったことは「現在位置の把握は大切」ということだ。自分が今どこにいて、誰といて、何をしているのかを説明できれば、私は大丈夫。分からなくなると途端にバランスが崩れて、生への執着を失ってしまう。生に執着することは今でもずいぶんとダサいと感じるけれど、執着しなければ得られないものもあるということも今の私は知っている。だから、生きなければいけないのだ。


好きなもの、大切なもの

これが大好きだなあ、と私が初めて認識したものは「ハム太郎」だった気がする。あと「どれみちゃん」とか。小さい頃のことはあまり覚えていないけれど、絵を描くこと、猫、小動物、高校の時のクラス、大学時代のボランティア仲間、何かを作り上げる瞬間…そのタイミングごとに打ち込めるものがある人生だったように思う。

ずっと大切にしていたいものを大切にし続けることは簡単に思えて本当に難しい。相手がモノやコトであれば自分の熱量に左右されるし、ヒトであればさらに相手の熱量やコミュニケーションにも左右される。価値観や文化は次々にアップデートされていくなかで、ある地点のものをずっと同じ熱量で大好きでいることは難しい。ある程度は、仕方ない。けれど、それが分かっていても熱量や愛が自分の中で上下していることを感じながら、どうしてもその対象と向き合おうとしてしまう。好きなものを諦めることは、ひと思いに嫌いになるよりも何倍も難しい。

大好きで大好きで、だから忘れてしまおう。そう思えば思うほど、全くの無関心になることはきっとできないのだろう。


そして、はたらくということ

私にとっての最高が誰かにとっては最悪なんてこと、ざらにあるんだろう。やりがいのために働いている人もいれば、お金のために働いている人もいるし、地位や名誉のために働く人もいる。お金がなければ生きていけないし、仕事がなければ社会的に淘汰される人もきっと少なくないだろう。どれが偉いなんてことはなくて、「働いている」という事実があれば、それは誰にも責められるものではない。たぶん。

人が集まればエネルギーはぶつかり合う。
遊びでも仕事でも。だからこそ、自分が何かを成し遂げたいと思ったとき、最終最後は根性論に頼らざるを得ないんだろうなと思う。人と交渉をして人と仕事をしているから。

そういうことに疲れた時、立ち止まらない人がのし上がっていくのだろうか。疲れてしまってはいけないような、そういう圧力を社会から感じている。多様性が重んじられる今も、24時間働けますか?の昭和も、根本的には何も変わっていないのにオブラートを何重にも被せて大きく変わったかのように見せているのは、私の働いている場所が特殊だからだろうか。

溢れ出る熱量と、冷静さの狭間で風船は飛び続ける。高く高く、どこを目指しているかは分からない。

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