見出し画像

堕落のススメ/ISFP的Fiを主軸にした人生論

実存が本質に先立つとは、この場合、何を意味するのか。それは、人間はまずさきに実存し、世界内で出会われ、世界・内・存在に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味する。

サルトル

人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。

人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、そのいずれかである。

サルトル

あなたは自分を規定しようと思う時、一体どのルールを適用していますか。
あなたは〇〇ちゃんのママであり、または誰かの娘であり、妻である。
会社での役職、地域での役職、とりまく世界に受け入れてもらえそうな自分の社会性。
あらゆる仮面をつけ変えて、世間体に合った自分を規定しながら暮らしていますね。
ではあなたがその全ての枠を取り去った時、残るあなたは誰ですか?

他人の目によって与えられた価値観は便利なものです。それに依れば確固たる自分の価値観などなくとも生きていくことは可能でしょう。
それだけあなたを縛るルールは無数に存在してあなたという存在をトリカゴの中に縛り、不動のものとする。
他人の価値観に支えられた暖かいトリカゴの中は安心感もあるでしょう。
しかし、その中に生きるあなたが魚の目をしていないか、鏡を見る勇気はありますか。

人間の美しさとは何なのでしょう。
あらゆる肩書きをクリスマスツリーのように飾り立てたあなたが美しいのは、煌々しい電飾のためなのですか。
それともあなた自身に光はありますか。

人間は自由の刑に処せられている。

サルトル

自由であるということは痛みを伴います。
全てを選択する自由を手にするということは、全ての責任があなたの肩に架せられ、あなたは常に自分の判断が間違っていたかもしれないという不安に苛まれながら生きなければなりません。

人間には生まれ持った本質はない、とサルトルは説きました。
ハサミにはハサミの用途があり、机には机の用途がある。それは人間の手によって作り出された時、本質としての存在する意味を与えられました。

実存主義者にとって人間に本質としての生きる意味を生まれながらにして与える神は存在していません。
それ故に自らの価値観に基づいた選択によって自己を規定しながら生きていく生き物であるのです。それが本来自然の人間の姿である。
人間は常に自由という刑罰を受け続けて生きる宿命を背負っている。
自由とは辛い。痛みの伴わない自由は存在しない。

人間には二択しかありません。
他人に与えられた価値観の中で縛られて生きるのか。
それともそのカゴから自らを開放し、自分の価値観に基づいて痛みを感じながらも人間らしく生きていくのか。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

「堕落論」坂口安吾

人間は元来、自ら価値観を選び取って自分を規定することによって生きる意味を見出して前に進む生き物なのです。
他人の目によって与えられた価値観は一見堅固で美しく見えるでしょうが、あなた自身の美しさを損ねるものであることは否めないのです。
私たちは自分自身の価値観を守るために、他人から与えられた価値観から堕落して生きる必要があります。

結果的に選んだ行動が同じだとしても、それが自分自身の価値観から選び取ったものなのか、それとも他人の目によって与えられた選択なのかによってその行動の含む光の強さは全く違ってきます。
そうして自分の翼で生きるからそ人間の美しさは内面から輝き、人間らしい美しさとしてまばゆいばかりに命を煌めかせるのです。
私たちは、自分たちをカゴから出してやる勇気を持てるでしょうか。

総じて太刀にしても、手にしても「いつく(固着すること)」という事を嫌う。「いつく」は死ぬ手であり、「いつかざる」は生きる手である。よくよく心得るべきものである。

「五輪書」宮本武蔵

固定の価値観に固着する自分を解放して、常に自分を選択の渦の中で生かしていくこと、それが自分らしいということなのです。

書物を読むばかりでは兵法の道に達することはできない。この書に書き付けたことを、自分自身のこととして、ただ書物を見るとか、習うとか思わず、物真似をするというのではなく、すなわち、自身の心の中から見出した道理とするよう、常にその身になって、よくよく工夫しなければならない。

「五輪書」宮本武蔵

今の自分を定めているルールが本当に自分自身のものなのか、それとも他人から与えられたものなのかを常に吟味して進むことは人間らしくあるうえで大変重要なことです。
外から取り入れた価値観でも、よく咀嚼し、自分の血肉にするならばそれはあなたのものです。頭を柔軟に常に上昇志向を心掛けることは大切でしょう。あなた自身の価値観であっても固着するならばあなたの輝きを貶めかねません。

体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分自身の条件にとらわれないようにすることが大切である。

「五輪書」宮本武蔵

私たちは気を緩めるとすぐに固定概念に囚われ、自らを縛りがちです。
あなたを恐怖に貶めているのは本当に信用出来るものですか?
心を常に流れる水のようにとらえ、囚われない。それこそが宮本武蔵の達した一つの境地でしょう。

白雁は白くなるために水浴びする必要はない。
あなたも自分自身でいること以外に何もする必要はない。

老子

現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。
物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい。

老子

自分を是(ただ)しいとしないから、きわだって見える。
自分でほめないから成功し、誇らないからいつまでももちこたえる。

老子

自分を自然のままの姿で受け入れて生きるということは、確かにあまりに困難そうで無理だと思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、自らを解放したその先にこそ、本来のあなたの輝きがあり、本当の意味での生きる意味があなたを待っているのです。
それはあなた自身ですらあなたを規定しない、空を舞うような生き方なのです。
ただ流れるままに受け入れて生きるために、あなたを縛る鎖を解き放ってみてはいかがでしょうか。

困難なことは、それがまだ易しいうちに始めなさい。

偉大なことは、それがまだ小さなうちにやりなさい。

世界中の困難な問題も、かつては易しかったに違いない。

偉大なことも、かつては取るに足らない小さなことだったに違いない。

千里の旅も、第一歩から始まるのだ。

老子

今回も拙い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?