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正月気分で自己啓発

 年末はワクチンの副反応で臥せっており、元日は仕事。二日、三日とゆっくり過ごしたと思ったらもう平日が始まっており驚いて泣いてしまった。

 嘘である。泣いてはいない。

 なぜ私は嘘をついたのか。それは、新年に嘘をつくことで、その年の厄を祓うことができるから、と、また嘘に嘘を重ねようとしているのはひねくれているからで、どうしてひねくれているかと言えば、もう少し休んでいたいからである。

 正月というのは誰が許可したわけでもないのにいつまでもゆっくり休んでいいような雰囲気が流れている。私の場合は二日、三日と正月気分で休んで、ちょうどこれから身体がいい感じになまっていくところでいきなり仕事になってしまったものだから、休んだらいいのか働いたらいいのか分からなくて泣いている。

 このような体たらくではろくな年にできないことはほぼ確定的なため、新年の抱負を語るなどして意欲的な男にならないといけない。

 具体的には自己啓発本に書かれているように、シリコンバレーのCEOを見倣って朝の4時に起床したり、特殊な食べ物を食べたり、時折文章も太字にするなどして自己が啓発されるような雰囲気を醸し出していきたいと思う。

 ところで新年の目標や計画を立てることがある人もいると思うのだが、私は中学生くらいのころから大抵壮大すぎる目標を立ててしまい、初日で計画崩れを起こして頓挫するのが常であった。

 たとえば高校生の正月に立てた目標は「1日1000題数学の問題を解く」というものだったが、これは他の科目もやったり学校にいかないといけないことを考えると通常達成不可能である。そのようなことは少々考えれば誰でも分かるのだが、しかし、計画をした時点では間違いなく可能だと思っていたのである。

 太字にしたおかげでシリコンバレー式の鋭いことを言ったような雰囲気が漂っていてすごくいい。それはともかく、計画をした時点では間違いなく達成可能だと思っていた。

 このように、計画を立てるときに人は、実際に達成できる目標よりも高い目標を立ててしまうことがわかっている。これを、計画錯誤という。

 いま私は学者っぽく「計画錯誤」などと述べ、それを太字にして自己を啓発したのであるが、よく考えると今のは昔メンタリストの人が動画で述べていた内容だったかもしれず、本当にそのような学術用語があるのか心配になってきたのでこれを調べたところ、用語自体は私が言ったような意味で存在していることが判明した。

 しかしこれって不思議だよなと思う。

 自分が現実にどれくらいの仕事を進められるかということくらい、社会人になって何年も経っていればまあだいたいは分かっているはずである。

 ところが、その成立過程を改めて脳内で辿ってみると、まずこれくらいできるだろうな、という推算があり、しかし実際はそこまでできないから下方修正してこれくらいにしよう、と改めて決めていることに気がつく。

 つまり、最初に「まずこれくらいできるだろうな」と、いまだに達成できない高い目標を想像しているのである。これは、蛙化現象と本質的に近い話なのではないか。

 すなわち、現実の自分の能力を否認して、もっと俺はすごいはずだという空想上の誇大な能力を仮定している。

 高校生のころは、この空想をそのまま現実のこととして「目標」として設定してしまったわけだが、年をとって空想はこうだが、現実はこう、という風に分けて考えられるように成熟し、自然に下方修正した目標を設定することができるようになったということなのではないかと思う。

 現実の計画錯誤のメカニズムはもっと別の話が想定されているのかもしれないが、私に関しては内的世界と外的現実のすり合わせの問題と考えることもできるなと思い浮かんだ。

 自己啓発本風に、ゼナを飲んで溌剌としている人のような文章を書こうと思ったのだが、結果的に全くいつもと同じ調子になってしまった。しかし、内容は自己を啓発しており、それが興味深いと思った。


 みなさん今年もどうぞこのnoteと発刊予定の書籍「偽者論」をよろしくお願いします!


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