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創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

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ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
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#毎日note

星野くんの「二塁打」/道徳に反して成功した人を評価すべきか

ご存じですかね、星野くんの二塁打。 道徳の授業で取り上げられていたらしいので、ご存じの方も多いかもしれません。わたしの記憶には凄く、薄く。通っていた小学校では取り上げられていなかったか、もしくは道徳の授業が退屈で聞いていなかったかで、どこかで聞いたことあったかもなー、レベルでした。 舞台は旧制中学での甲子園をかけた野球の試合の一幕でして、授業では、監督の指示に従わなかった星野くんは正しいか否か、みたいなことがテーマになることが多いようです。 要約はこんな感じ ・1 R

金曜日の随筆:江戸時代の三俳人

また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。2021年のWK26、水無月の肆です。本日は、俳句の歴史をさらっとなぞった後、江戸時代の三俳人について纏めます。 『俳句』になったのは明治時代『俳句』は、季語の含まれた五・七・五(十七語)の定型詩です。『俳』という字には、「こっけいなこと、おどけ。(小学館デジタル大辞泉)」という意味があり、俳句を読む人は『俳人』と呼ばれます。 『俳句』とは「俳諧の発句」の前後を取った略語で、明治時代に正岡子規(1867/10/14-1902/

詩人(特に俳人)必読書。高濱虚子‐並に周囲の作者達‐(水原秋櫻子著)を読んで

 当然のことだが、歴史に名を残すような大人物にも、弱く、苦悩し、葛藤をした若き時代が、人生の中には必ずある。そのことを小生らは忘れてしまいがちで、大人物は昔から大人物であるかのように錯覚してしまう。  水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)。虚子と並び立つ俳句界の巨星にも、若く苦悩した日々があった。  師である高浜虚子への尊敬と次第に顕になる俳句観の相違。志を共にした友との決別。  全国最大の俳句結社ホトトギスの中心的人物の離反と、馬酔木(あしび)という新興俳句の先駆けとな

現代版・芭蕉の旅(解説06)

芭蕉が訪れた那須湯本温泉に、今の時代に行くとすれば、高久駅から1駅の黒磯駅までJR東北本線に乗ればよい。 黒磯駅からは那須湯本温泉方面のバスが出ていて、30分ちょっとで到着する。 さて、高久と那須湯本に滞在した芭蕉は、ほととぎす(郭公)を句の中に入れた俳句を詠んでいる。 【1つ目】 落ち来るや 高久の宿(しゅく)の ほととぎす 【2つ目】 野を横に 馬牽(ひ)き向けよ ほととぎす 《解説》 ほととぎすは、「郭公」と表記するが、この漢字は