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創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

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ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
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#文学

【随筆】なぜ俳句の感想文を書くのか

 俳句が五七五で表現する文芸である点を知っていても、切れだとか、詩情だとか、深くまで知っている人は、私の周囲にほとんどいない。それは全く問題のない至極当然の事実である。  好きなことは誰かに勧めたい。自分から主張しては、お節介極まりないが、聞かれたのであれば、俳句は面白いよ、と偉人らの名句をみせる。  堂崩れ麦秋の天藍たゞよふ 水原秋桜子  芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり 松本たかし  芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏  ほとんどの人が「どういう意味?」という。他、

俳句

僕はもう今は広島県にいるけど、出身は愛媛で、正岡子規とか夏目漱石の話が沢山出るけど、この前、文学館に行ったら、正岡子規は1700の句を残したけど、一番良い句は 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 で、今までになかった。と言ってて、松山にいる時は15万石の城下かな。だろ。と思ってたんだけど、松山はやたら坊っちゃん、坊っちゃんで、一番売れたのはこころなのにな。まあ愛媛らしい作品は確かに坊っちゃんだけど。 山頭火は 種田山頭火は まっすぐな道でさびしい がベストらしく、ベストって言わない

【徒然草】よき細工は(第二百二十九段)

よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。 【解釈】 腕のいい彫刻師などの職人は、少しだけ切れ味の鈍い刀を使うという。名工とされる妙観(みょうかん)の短刀も、それほどよく切れない。 全文がたったこれだけの、あっさりと短いトピックです。あまりに短い段なので、もう少し理由やエピソードも交えて解説してほしかったな、なんて言うのは野暮なのでしょうか。 なぜ「少し鈍い刀を使う」のか、さまざまな解釈があるようです。 利きすぎる腕をおさえるため。彫刻などは、削り

詩人の友情

 萩原朔太郎に「本質的な文学者」という短文がある。これは梶井基次郎(1901~1932年)の文学的才能を朔太郎が讃えたものだ。朔太郎は『檸檬』を読んで文学の実在観念を発見したというほどの衝撃を受けた。この文章は基次郎の死後である昭和10年(1935年)頃に書かれ、梶井基次郎の死を改めて惜しみつつ、基次郎が夭折することがなければ、ドストエフスキーのような大作家かポーのような詩人になったに違いないと述べている。そして、この短文の末尾には、梶井基次郎という人付き合いの悪い芸術的天才

【創作論】人は物語が好き。作者と作品と批評について。

1920年代には、ニュー・クリティシズムという文学批評思想が流行しました。 当時、芸術作品への批評がまるで作者その人についての批評になってしまうことが多発し、その反発として生まれた潮流だったようです。 ウィキペディアには―― 作品を社会的、歴史的文脈から切り離し、また作者の伝記的事実と結びつけることをせず、純粋に作品そのものに即して論じようとした。 とあります。 つまり、作者ではなく作品に目を向けようということですね。 私も一時はこの考え方に深く共感していました。 記

【選は創作なり】加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』

昨年末NHKBSのドラマ『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』をみました。主演は松田龍平。無表情の演技がすばらしかったです。映像の品質も高く、100年前の中国の現実をリアリズムで描いていて、なかなかみごたえがありました。 芥川龍之介は、大正10年に新聞社の海外視察員としての中国を訪問しますが(紀行文「上海游記」「江南游記」)、その視察中に胃腸を悪くしたのが原因で、帰国後、睡眠薬中毒になっていきます。それが自殺の原因にもなっているともいわれます。自殺の原因は文学的な解釈もされ

【俳句】何が面白いのか。

まず、私の俳句歴は2021年現在で五年ほどになります。 元々は小説における描写の技術向上に繋がるかと思い、始めました。 昨今は夏井いつきさんの活躍もあって少しは人気が高まったかにも見える俳句ですが、歴史を振り返ると「第二芸術」呼ばわりされたこともあるし、そうでなくても年寄りの趣味というイメージが強いものでしょう。 私もみずから勉強すると決めて始めたものの、正直に言えばあまり関心のなかった分野でした。 ――が、一時期小説以上にのめり込むことになったのです。 私を虜にした俳