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俳句マガジン 「ランタン」

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小生の処女句「ランタンはゆつくり灯る秋の雨」より。これから俳句を始める人や、句作に悩んでしまった人たちの、道を少しでも照らせたらと思う。
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2021年5月の記事一覧

房州オンライン句会 21年5月句会結果発表

「房州オンライン5月句会」の結果を発表します。今回も「当季雑詠」「1人2句まで」の条件で開催しました。 参加者は12名で、計23句が集まりました。参加者も投句数も前回より増えました。ご参加いただきました皆さん、ありがとうございました! 前回に引きつづき参加いただいた方も、新しく参加をされた方も、いかがだったでしょうか?楽しんでいただけたら幸いです。 最近、「句会で思うように点数が入らなくてがっかり」というご相談をよく受けますが、点数はあまり気になさらないでください。ある

【句集紹介】夕ごころ 芥川龍之介句集を読んで

・紹介 あまり知られていないが、芥川龍之介は俳句もすごい。 そして驚くことに、完成度はあまりにも高い。たった17音の俳句の中にも、芥川龍之介の文学らしさがしっかり刻み込まれている。  例えば、 死にたれど猶汗疹ある鬢の際 芥川龍之介  意味としては「死んでもなお、頭の側面の髪の際にあせもがあることだ」となろうが、どことなく『羅生門』にでてくる老婆を想起させられる。 水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介  水洟は「みずはな」で鼻水のこと。哀愁溢れるこの句は処

【句集紹介】春のお辞儀 長嶋有句集を読んで

・紹介 長嶋有の「俳句は入門できる」が面白かったので、氏の句集を読んでみた。「俳句は入門できる」については、下記記事をご一読いただきたい。  この句集。とにかく「なんじゃこりゃ?」といった感想が常に付きまとう、珍しいタイプの句集だった。 例えば、 朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火 長嶋有  意味不明である。朝も昼もハンバーグって何があったんだろうか。しかも季語に花火があるが、世にも珍しい昼花火である。これは俳句なんだろうか、川柳なんだろうか、ツイートなんだろうかという考

「俳句なんかやっている場合か!」って時こそ俳句を作ろう。俳句は入門できる(長嶋有著)を読んで

 芥川賞作家にして俳人の長嶋有の新書の紹介である。読了後のアウトプットと合わせて行いたい。  特に面白かったのは 初鮫は片足残しくれにけり 長嶋有  と言う句の紹介だ。安心して欲しい。この句は、フィクションである。「俳句とはわざわざ人が作って成立するものだ」という、至極当然のことに気が付いた著者が、その気付きに感動して句に残したものだという。辞世の句があるように、俳句は「そんな非常時に俳句なんかやっている場合か!」という時にでも、割と平気で詠まれていたりする。それが俳人

【句集紹介】粹座(すいざ) 加藤郁乎句集を読んで

・紹介 読了後思わず拍手をした。この句集で描かれていたのは一人の江戸っ子の半生の物語だった。  タイトルにある通り、この句集は「粹=粋(いき)」をテーマにしている。江戸っ子の粋と言ったら、いなせで、偏屈で頑固と相場が決まっている。本書はそんな気質の主人公の若かりし日から老年へのドラマである。  一例を出すと、例えば嫁さん。江戸っ子は妻のことを褒めない。妻のことを二流呼ばわりしたり。料理に感謝をしなかったり。黙ってついてくればいいとさえいう。本書でもそんな言動が句から読み取

俳句 雑詠4句

 公園のいつものベンチに座ると、懐かしい音楽が聞こえてきた。振り向くとそこには女子高生がいた。彼女は踊っていた。とても美しい踊りだと思った。そして、小生はこの音楽の名を思い出せずにいた。彼女の耳元で何かがきらりと光る。イアリングだった。初夏の陽を反射するその光彩は、小生を無性に悲しくさせた。その輝きは小生がとうの昔に捨てたものだった。彼女の幸せを祈って、小生はベンチを離れた。忘れた音楽口ずさみながら。 葉桜の踊れば光るイアリング ゆったりとお通しもってくるアロハ ちょっ

【句集紹介】鶏頭 正岡子規句集を読んで

・紹介 『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』で有名な正岡子規の俳句の紹介である。  ここでは本書の題でもある鶏頭に触れておこう。子規の句で鶏頭と言うと 鶏頭の十四五本もありぬべし が思い出される。後に「鶏頭論争」を巻き起こした句である。ちなみに鶏頭とはこんな花である。 鶏頭(ケイトウ)…夏から秋の季語。ニワトリの鶏冠に似ていることが由来。燃えるような朱色をしていて、庭などに好まれて植えられている。  句の意味としては、「鶏頭が14~15本咲いているに違いない」といった感

【句集紹介】彩 桂信子句集を読んで

・紹介 もう、とにかくすごい。17音でよくぞこれだけ妖しげで、淫靡で、しかしどこか悲しい世界を描き出せるものである。  桂信子の句は「間接照明」のようだ。暖色系の照明に柔らかく照らされ、中心以外の景はぼやける。そしてその光の当たらぬ余白より、仄かに甘美なにおいが漂ってくる。誤解を恐れずに言うと、全男子が一度は夢見る、妖しげな世界が描き出される。  あとがきにおいて「私は幼ないときから、原色よりも間色を好んだ」と言っている。もしかしたら、そういった趣向も、句に反映されていた