写真をよむ

ロンドン郊外在住のフォトグラファーです。俳句のように写真を詠み、絵画のように写真を読み…

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ロンドン郊外在住のフォトグラファーです。俳句のように写真を詠み、絵画のように写真を読み解きたい。https://twitter.com/ourcameralucida

最近の記事

ローカル化する「報道写真」

毎年この時期になると世界報道写真(ワールドプレスフォト、WPP)の受賞者が発表され、どんな写真が選ばれているか一応見たりする。アメリカならピューリッツァー賞とか、日本だったら木村伊兵衛賞とか人によって気にしている写真賞は違うだろうが、筆者は欧州在住で主にエディトリアルの分野で活動しているので、WPPを見るわけだ。 全受賞者の経歴や写真のキャプションまで読み込むわけではないが、何となく審査員の意図を感じることがある。この辺はノーベル賞にも思うこともあるけれど、今年のWPPに話

    • 無人島に持っていきたいカメラと本

      BBCのラジオ4にデザートアイランドディスクスという長寿番組がある。ゲストに無人島に何を持っていくか(音声レコーディング、主に音楽)を聞くというコーナーがあるという。先日フォトグラファーのポッドキャストを聴いていたら、これを模して、ゲストに無人島に持っていくカメラと本(主に写真集)を尋ねるという企画があった。 自分だったら何を持っていくだろう。 フィルムカメラかデジタルカメラか。そもそも無人島でありながら、現像もできるという設定らしいのでデジタルもOKなのだろう。それでも

      • 知識をアップデートする方法ーこたつフォトグラファー用

        フォトグラファー、特にフリーランスは自分の知識や技術が古くなっていないか、ふと気になる瞬間があるのではないだろうか。もちろん全てについて取り入れていく必要があるわけではないだろう。しかし柔軟な思考を維持していくことは最低限必要ではないか。 自分の経験で言えば、たくさんあるものの、例えば動画とドローン。この二つは需要が増えていった時期に本格的に勉強する、という判断もあったかと思うが、動画は自分で勉強、ドローンには手を出さなかった。もちろん他に時間や資金を投入したいことがあった

        • 「答え合わせ」と映像

          先に「AI時代の『決定的瞬間』」という記事を書いた。 キャサリン妃が母の日用に公開した写真が加工されているとして、複数の国際通信社が配信を取りやめたことについて取り上げた。加工を指摘したAP通信は有識者の言葉を借りて、信頼と信ぴょう性の崩壊を指摘、コミュニケーション戦略としてもっと正直になる必要があるとしていた。 オリジナルの写真を公開しないとのことでこのまま闇に埋もれていくかと思ったが、急転直下この騒ぎの原因を知ることになる。キャサリン妃がビデオメッセージを公開したのだ

        ローカル化する「報道写真」

          書くことと写真を撮ること

          どこで読んだか忘れたが、写真家によって書かれた良質の写真論があまりない、という。 正直なところ、この言説を裏打ちするような調査や統計を知らない。しかし感覚的には分かる。自分も読んだことがない。報道の立場からリテラシーについて書かれたようなものは見かけるものの、写真論とは別の議論だろう。 歴史の浅い写真の分野では、もはや古典と言ってもいいものに、ロラン・バルトの「明るい部屋」とスーザン・ソンタグの「写真論」がある。 双方とも写真の本質に迫る議論を展開しているが、写真家では

          書くことと写真を撮ること

          AI時代の「決定的瞬間」

          イギリスではここしばらく皇族の入退院がニュースになっていた。万が一のことがあるので一応気には留めているものの、さほど関心はない。しかししばらく経って少々驚くニュースが伝わってきた。  母の日用に公開されたキャサリン妃の家族写真の配信を、主要国際通信社が取りやめた。複数の加工が疑われるからだという。退院後初めての「登場」だったため混乱に拍車が掛かった。  「写真なんてどうせフォトショップでいじってあるんでしょ」という人もいるかもしれない。しかしニュースを取り扱う通信社ではどこま

          AI時代の「決定的瞬間」

          フラッシュの「本当の」使い方

          フラッシュ(ストロボ)を買い足すかどうか悩んで、フラッシュのことばかり考えていたら、以前から思っていたフラッシュの使い方について書いてみる気になった。 写真を始める前は暗い時は使えばいい、くらいに考えていたような気がするのだが、実際に始めてみると違う。逆に室内で使わず、屋外で使ったりする。今のデジタルカメラは感度をかなり上げられるので、そもそも周囲の明るさが必ずしも重要な要素ではない。フラッシュを使う理由を簡単に3つ挙げてみたい。 1、主光源と補助光の関係が意図したもので

          フラッシュの「本当の」使い方

          写真の力を感じた1月

          記憶の連鎖、とでも言うのだろうか。 元旦の能登半島地震の報に接し、29年前に起きた阪神淡路大震災を思い出した。まだ生まれていなかった人は東日本大震災が頭に浮かんだかもしれない。が、私のとって1月の記憶は阪神淡路だった。 17日の記念日に合わせ、動画サイトのおすすめにも各種メディアのレポートが出てくるようになった頃、一つの動画のサムネイルが目に止まった。 やや赤茶けたように見える、年代を感じさせる写真には赤ちゃんを抱いた母親と見られる女性が写っている。赤いニットのタートル

          写真の力を感じた1月

          見えないものを写す

          写真はその本質にそこにあるものを記録するという特性がある。 特にフォトジャーナリズムの世界では正しい場所にいることが大事とされてきた。あらかじめ何が起こるかわかっていることだけでなく、何か起こりそうだけれども何がいつ起こるか分からないような時には、マニュアルフォーカスの時代にはカメラの絞りをF8に合わせて待て、などと言われていたこともある。広角でF8なら被写界深度が深く、ピントが合う範囲が広いから。 でも時代は変わった。 写真だけでなく、ビデオでさえも、手持ちのスマート

          見えないものを写す

          仕事でほとんど使わないのにフィルムで撮る意味

          今日、カラーネガフィルムを自家現像した。 フィルムは高いし、現像には手間がかかる。スキャンまでするともっと時間もかかる。中判以上ならともかく35ミリだと、解像度でデジタルには勝てない。お金と時間をかけてやってみてもフィルムに傷がついていたり、スキャンでゴミが入ったり、あるいは原因不明の理由で画像に満足いかないこともある。とてもじゃないが依頼仕事をフィルムだけで撮ることはできない。 ではどうして自分はフィルムを使っているのだろう。理由をこの機会に考えてみた。 パッと思いつ

          仕事でほとんど使わないのにフィルムで撮る意味

          パンデミックが「終わった」英国で写真を考える

          パンデミックが「終わった」。 そう断言していいかどうか分からないが、ここイングランドでは、法的拘束力のある規制はすでになくなり、マスクをする人も少なくなった。最初のロックダウンが発表されてから2年となる3月下旬には、ガイダンスのみとなっている陽性者の自己隔離もなくなるかもしれない。以前から言われていたようにエンデミックとなるのだろう。 仕事柄、写真を考えてみたい。この2年のパンデミックを象徴する写真は何だろうと時折考える。パンデミックの初期はマスク、人のいなくなった繁華街

          パンデミックが「終わった」英国で写真を考える