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飲食店パートでHSPかもしれない私が観たらストレス満点だったボイリング・ポイントの話

最近シネリーブル系映画館にハマっていて、水曜日になるとレディースデー目当てでいそいそと身支度をして映画を見に行く。
シネコンとは違って狭いし駅から遠いが絶対に自分から選ばない映画をやってくれるし、お一人様が多く、客層が同世代かそれより上でガチャガチャうるさい奴が来ないところがとてもいい。

ボイリング・ポイントは、映画館でポスターを見た(ヘッダーの写真はその時撮った)時から楽しみにしていた映画だった。
第一に舞台がレストランだ。しかもクリスマスのディナータイムでのストーリーで、イギリスは料理が美味しくないなどと言うが、絶対にとんでもなく旨そうなご馳走たちが登場するに違いないと思った。私はとにかく食べることが大好きで食い意地は人一倍のため、見ているだけで食欲を刺激される、美味しそうな映画が大好きなのだ。
第二に私は小さい世界の中で人間関係があり、こちょこちょとなんてことないことが起きる映画も好きなのだ。ヒーローも悪の組織も存在せず、世界が滅亡しそうになるわけでもない。日常の中でちょっとした毒っけや涙がスパイスになっているような話はきらびやかさはないが、具材の溶け込んだスープを飲んだ時のような、じわっとくる良さがある。

しかもこの男女のシェフが力を合わせて同じ皿の料理に取り掛かっているポスターを見てすぐさま「グランメゾン東京」(※キムタクがシェフ役の2019年にやっていたドラマ)を連想して、これは絶対面白い。きっと胸熱展開満載の体育会系のストーリーに違いないと思った。私のへぼい予測は外れた。


主人公はオーナーシェフであるアンディだが、話の動きに合わせて一人ずつ焦点を当ててカメラが追いかけていくので群像劇としても楽しむことができると思う。
アウェイ感をものともしない衛生管理検査官、それぞれの担当と足並みを合わせて一皿を作り上げるキッチン、やる気のない洗い場、お喋り好きのホール、店全体を見通すマネージャー、当たり前だが何も知らず料理を楽しむ客たち。誰のどのシチュエーションに感情移入するか、人によって色々な感想を持つだろう。

私はタイトル通り神経質でHSP気質な部分があるにも関わらずなぜか飲食店で働いているので、お客様側の楽しさではなく店側の忙しさに自分を重ね合わせて勝手にストレスがマックスで、傍観していればいいのに飲み物を飲むのも忘れて緊張感でぶっ倒れそうになるシーンが多かった。

ボイリング・ポイントのタイトル通り登場人物は熱を帯び、作中でいきなり沸点に達してしまう。
沸騰しそうでしないキャラクターや沸点がもともと高そうなキャラクターもいるが、人が熱され、限界に到達するスピードは思ったより早いらしい。そもそもが忙しすぎるクリスマスなのに衛生検査のせいで開店作業が押している。しかもアンディが疲労のせいで未発注のミスをして食材が十分ではない。その上ライバルが来店することが当日になって分かるのだ。(マネージャーは伝えていたようだが伝達ミス?でアンディが認識しておらず、言い合いになっていた)

この時点でアンディを見ているだけで死にそうになるのだが、ストーリーが進むにつれ他の登場人物もストレスで声を荒げるシーンがあり、それが波のように次から次へと押し寄せてくる。人の余裕のなさは伝播するのだろう。アンディに余裕がないと他のスタッフもピリピリしてくる。そこで止まっていればいいのだが見ているこちらにも容赦なく波がぶつかってきて、「気持ちはわかるけど落ち着いて」と言いたい気持ちと、感情のぶつかり合いが怖くて見て見ぬふりをしたい気持ちでピリピリしてくる。ロングカットなので目で情報を追うのも忙しく、一息つけるシーンが少ない。私は隣で自分以外が怒られていると自分のことのようにストレスを感じてしまい、関係ないのにソワソワしてしまうのだ。

人がテンパって声を荒げ、場の雰囲気が緊張していくのを見るとまるで自分も調理場の片隅にいるような錯覚に陥る。本当に、声を荒げる人がいる忙しい店って嫌だよな…あまり忙しくない、なんなら暇な店でぼんやり働きたいものだ。(忙しくないと利益が出ないから店をやっていくためには無理だろうが、私の本音だ)

せっかく美味しい料理が皿に盛られていくシーンがたくさんあったのに大して印象に残っていないし、観終わった後は仕事終わりのような疲労感に包まれた。
いつもなら映画を見た後は映画に出てくる食べ物を食べたくなるくらい私の胃袋と脳は単純なのだが、お腹は空いているのに食べる気力が湧いてこないまま帰路についた。

自分だけでは限界がある。
電車に揺られながら、明日からは一人で全部やろうとするのはやめよう。私は無能なんだから仕事ができる店長や先輩に頼ってもいいし、人に頼れば自分のキャパシティーが超えにくくなるからミスも減るだろう。逆に私ができることはしっかりやればいい、と心から思えるようになっていた。

ボイリング・ポイント|沸騰 、飲食店勤務の方は絶対見てほしいし、飲食店未経験の方も「うわあ…キッツw 無理ww」と苦笑いできるのでお勧めです。
90分で短いはずなのにすごいボリュームに感じるし、登場人物たちと一緒になって疲れてしまういい映画だった。ただ、突然ラストが来るのでエンドロールで気持ちが宙ぶらりんになる人もいるかも。



※ここからネタバレを含みます


映画の中で登場人物たちは入れ替わり立ち替わり何度も感情を大きく動かすのだが、必死に周りを落ち着かせ場の雰囲気を切り替えてアンディのフォローに回っていた副料理長のカーリーがマネージャーに涙をにじませながら今までためにため込んでいたイラつきを爆発させるシーンには本当にハラハラした。
見た目的に、マネージャーより多分カーラの方が年上?に見えたし、クリスマス当日を迎える前から色々不満があったのは台詞の内容からも明らかだったが、声を荒げるタイプではないのは伝わっていたから「前からあなたのことが嫌いだった!皆もあなたが嫌い!」と言った時には「言い過ぎだわ…しかも上司にそんなこと言って良いの??いくらなんでも気まずすぎない?!」と思ってしまった。
外国だと「つい」こういうこと言っちゃうのは普通の感覚なのか??
マネージャーからすれば、スタッフを束ねる立場なのに「みんなから嫌われている」の言葉はめちゃくちゃにキツい。
嫌われやすい立場だろうと自覚していたとしてもそれを言い切られたら頭を殴られたようなショックを受けるだろう。言われている時すでに半泣きだがトイレの個室に逃げ込んで声を抑えながら泣いていることを映画を見ている観客だけは知っている。

その後、関係修復のためか取り繕うためか「飲みに行かない?ゆっくり話しましょう」と誘われてカーリーはOKするのだが、店を辞めると言ったのがただの衝動的なセリフなら良いなと思う。でも、ああいう時に出た言葉が無自覚でも魂からの本音の叫びだったりもするんだよな…実力はあるから、言い返した時は別にこの店にこだわる必要も無いと思っていただろう。
ただ、ラストでアンディがいなくなるし、どうするんだろう。オーナーシェフに昇格して、お給料も上がるだろうから残るかな。

ホール担当はチームワークがあり、いい意味でキッチンの混乱が伝わりにくいのか楽しそうに仕事していて癒された。(※ただし、アンドレアを除く)(アンドレアも沸点に達するかと思ったが諦めて耐えている様子だったのでこう言った差別は珍しくもないのかなぁ…担当を替わってくれる人はいるだろうけど、自分が差別されたことを言いたくないのかもしれない)
日本だと仕事中に私語をするのはあまりよくないんだろうけど、スタッフ同士はもちろん、お客様にも話しかけて雑談する余裕!あれくらい気楽に私も仕事できたら良いのに…!
キッチンと違いホールはあまりテンパった様子もなく出されたものを出された順に運んでいて誰もミスしないし誰かに怒られることもない。さすが!!
その分お給料は低いんだろうけど、「別にここがなくなっても仕事はいくらでもあるし他で働けば良い」くらいのモチベーションだろう。それぞれ仕事以外に楽しみがあって、マイペースに働いているところが良い。テーブルに一人担当のホールが付くから、基本的には自分のテーブルのことだけを把握していればいいのが合理的だなぁと思った。一つの作業にだけ集中できたら、私だってミスしないのに…!日本は飲食店バイトに何でもかんでもさせすぎなんだよなぁ。

苦しみや怒り、人生の傷をそれぞれの方法で立て直そうと足掻き、必死にコントロールするシーンを見守りながら、なんとかそれでも1日の終わりが見えてきたとホッとした瞬間、アンディはもう一つの沸点、つまり致死量に到達して突然倒れる。
「まだ何も解決していないのに!ここで倒れたらお店はどうなってしまうの?」という私の混乱をよそに、「命なんて突然尽きる。忖度しないし儚いもんよ!」と言わんばかりに無慈悲にエンドロールが流れていく。(しっかりとは描かれていないが、私は完全に亡くなったと思った)
過労死なのか薬(大麻か?)のやりすぎか、またはその両方だろうが、人の命はあっけないし、全てが宙ぶらりんで何も解決しない。

リストカットの跡を隠すパティシエのような分かりやすいものではなくても、誰でも人生で辛いことや我慢していることを胸に抱いて生きているのだと思う。それは少しのきっかけで爆発したり人に向かったりもするが、それも高い視点で見れば人間の愛らしさだ。大人でも、上司でも、声を荒げてもいいし泣いたっていい。
部下を怒らずに褒めて伸ばすという趣旨のビジネス本やアンガーマネジメントは話題になって久しいが、ボイリング・ポイントの世界では真っ向からそんなの関係ない!人は怒ってもいい!と主張しているように感じた。

相手にこれを言えば傷つくのではないだろうかと考えて本音を言えず、なるべく無難なことばかり言ってしまう、それで相手から何か傷つくことを言われても言い返さず我慢して、なんなら愛想笑いまでしてしまう。相手とぶつかりたくないしぶつかった後に気まずくなりたくないからだ。そんな私のボイリング・ポイントはどこだろう。
作中の人物たちのように我慢の限界を超えたからといって相手にマイナスの感情を感じたままにぶつけることはなかなか難しいだろうな。
ただ、相手を傷つけても自分の言いたいことを言う権利は、元々は私にもあるはずなのだ。それをあえて行使してきていないだけで、誰にでもその自由はある。
私だってたまには自分の感情を爆発させて、大きく笑ったり怒ったりしてみたい。

そして、奇跡的に苦しかった感情を分かち合ってもらえたら、一緒に泣いて、抱きしめて貰えたら、どんなに素敵なことだろう。それだけで傷跡は無くならなくても、痛みは癒されるはずだ。
登場人物たちの剥き出しになった感情に圧倒されながらもそれを出せることへの羨ましさがじわじわとまさってくる。

なかなか内容を消化できず、記事を書き上げるのが遅くなったせいでそろそろ上映が終わってしまいそうだが、一人でも多くの誰かと、レストランで働くしんどさを共有できたら嬉しい。

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