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ほとんどのお客様は神様なんかじゃないけど、最終的にはフニャフニャ様に変質する話。

前回、くたばる寸前の状況の一部を思うがままに書いてみたが、今回は初勤務から今までで私が感じた、飲食店で働くことの喜びについてまたもやダラダラと書いていきたい。

  • 前提1  私はHSP(かもしれない)ので些細なことで大いに感動できる生き物だ。この記事の一部を家人に話すと「意味わからん!キモ!」と一蹴されたことがある。(キモくて悪かったな。)

    • 前提2  私は女で一見若そうに見える上に明らかに仕事ができないので周囲からお目溢しをしてもらっている、というのは大いにある。


まず質問。
飲食店のドアを開ける時、貴方は自分がどんな顔をしているか知っているだろうか?
入ってすぐに鏡がある店なんかある筈はないから、自分の顔には無関心なのが普通だろうとは思うし、いきなり私にこんな質問をされても「ハァ?別に普通やけど?」と思っていることだろう。だが、私に言わせると「別に普通」の顔をしているお客様なんてほぼ居ない。お客様は程度の差はあるが誰もが「荒ぶる神」状態で店に入ってくる。当たり前だが、腹を空かせているから来ているわけで、生命の危機に関わる深刻な状況に置かれているために顔や肩の辺りがビンビンに力んでいるのだ。
店員から運ばれてくるお冷を飲んだところで喉は潤うが、肝心の胃袋は虚しいままだから、メニューをガン見しながらどれを頼めば一番舌も胃袋も満足するか、血が回ってない脳で必死で考える。常連のお客様は家からの道すがら、どれにするか考えているのでお冷のタイミングで即注文が取れるが、まだ慣れていないお客様は「どこでもええねんけど、どこにするのか考えるんもめんどくさいわ…ああ、席空いてるし、もうここでええか…」パターンもかなりあるので腹は空いているわ思考停止してるわで少ないメニューで迷う程度には決断力が鈍く店選びのストレスのせいで機嫌もそこはかとなく悪い。最悪、「なんかおかしい事して来たらすぐ言ったるからな!」的な思考に発展することも十分に考えられる為、注意が必要だ。(だが有り難いことに、今のところそこまで強い口調でお客様から怒られたことはない)(その分店長が怒るので防波堤になっている)
注文後は挙動不審な動きをしている店員(私だ)がこちらに来そうで来ず、他のテーブルに料理が運ばれて行くのをスパイのように視線は寄越さずしっかり観察している。
その緊張感は料理が無事に自分のテーブルに置かれるまで続く。
やっと自分が食べたいものを食べたいだけ口に運んで、小一時間後に漸く「荒ぶる神」状態のお客様は力みが抜け、まるで憑物が落ちたように目元が優しくなる。完全に腑抜けているので「こちらお下げしますね」と声をかけても「はぁい」と答えてくれるのは良い方で、大体は「ぅン…」みたいな音が返ってくるのみだ。そこには注文時の自己主張トーンは消え去り、同じ人物とは思えない。
声にならない「あーーーーーーー腹いっぱい…」の満足感が肩と頭のてっぺんから、薄い湯気のように立ち上っていくのが良く見える。そして「荒ぶる神」は「フニャフニャの満たされた生き物」になって退店していくのだ。

私がくたばりそうにながら働いて見つけた飲食店での仕事の喜びややりがいは、腹を空かせた人が腹一杯で帰っていくこと。その一点だ。
そこには金持ちも貧乏人もなく、色んな仕事や状況の人が居て、美醜や老いも若いもない。誰であろうが同じメニューから食べたいものを選び、絶対的に平等に注文された順に食べ物が運ばれて、満足するまで好きなだけ食べられる世界。至ってシンプルな構造だが、こんなに手っ取り早く、しかも劇的に他人を幸せにできる仕事は他にないかもしれない。
今は店長から呆れられすぎて私のメンタルは穏やかではなく、やりがいを感じるどころではなくなっているが、最初の一ヶ月くらいは出来立ての熱い料理をお客様の前に置く時に例えようのない幸福感に包まれていたのを覚えている。作るのは店長で自分は何にもしていないし単に届けているだけなのだが、私もお客様を幸せにしているのだと、すごく良いことをしている気分になったものだ。犯罪の片棒を担ぐ、の良い方の表現ってなんなんだろう。誰かコメントで教えて欲しい。とにかくそういう気分だった。
私が知らないだけでお客様だって当たり前に、それぞれ悩みや苦しいことはあるだろう。それでもとりあえず食べてる間だけは幸せで、パワーチャージして「ありがとう!」「ごっそさん」と帰っていく。
きれいに平らげられて真っ白になったお皿たちを下げながらそんなことを妄想して勝手にじわっと来る。中には、私に「頑張りやー」「大丈夫!」「ゆっくりで良いよー」と励ましてくれる本物の神様までいて「はい」「ありがとうございます」と言いながら、有り難い人の優しさにじわっとくる。

腹が減ったら心の声に従って、どんな店でも行けば良いのだ。注文した物が当たり前に出来立てで与えられ、当たり前に騙されるわけでもなく提示されたそのままの金額を払う。調理場の油の匂い、醤油の匂い、熱湯の湯気と一緒に、食後の満足感がゆらゆら薫るが、やがて消える。それはこの店がある限り、永遠に続く。

腹が減ると人は確実に不幸になる。しょーもないネガティブが襲ってくる時、実は単に空腹が原因だったりする。沢山食べてるから大丈夫?健康に気遣ってるから大丈夫?そういうことではない。
心が欲しがっている舌触り、脳が欲しがっている匂い、体が欲しがっている栄養、全部がその時その人それぞれで、全く別由来の食欲なのだ。あの頃みたいに誰かとゲラゲラ笑い合って食べるハンバーガー1個が(または笑い合える誰かが)今の貴方に必要なものかもしれないし、仕事終わりに少し奮発して初めて買ってみた駅ナカの生ジューススタンドのスムージーが同僚や先輩よりも貴方を励ますかもしれない。

幸せとは心身が満たされることだが、心を満たすには何が不足なのか見えにくいぶん難しい。HSP(かも知れない私も含む)や普段人間の形を保とうと必死になっている人は、欲求を我慢したり他人の欲求を優先することが当たり前になってはいないだろうか?
節約を意識してスーパーの割引シール目当てに買い物していたら、全部無視して前から気になっていたお惣菜を片っ端から値段も見ずにカゴに入れても良いし、それでその日の食費の予算がオーバーしたって構わない。いつも子供や夫の好きなメニューで晩ご飯を作っているなら、内緒で平日の昼間に自分一人だけホテルでランチと洒落こんだって構わない。勿論、自分だけ贅沢をしていると罪悪感を感じる必要もない。もしも、このたった一回の贅沢のせいで今貯金がいくらか減ったとしても、この程度のマイナスは将来的に取り返しがつく範囲だから何も怖がることはない。

貴方の胃袋を満たし、腑抜けさせて一時だけでも不安や辛さを手放させる。悩みよりも満腹感を優位にさせ、フニャフニャにする。それがこの世に数え切れないほど存在している飲食店の存在する意味なのではないだろうか。
そして欲求に素直に従ったその日の行動と、その結果としての貴方の幸せこそが、今だけでなく明日の、そしてその先の未来の幸せにも繋がっている。

腹が減っては戦はできぬ。
お客様が運ばれた料理をハフハフ熱そうに一生懸命食べている。
それを見て、くたばりそうでくたばらずに、私は今日も働いている。

仕事が出来ずすぐにテンパる私に優しい心使いをしてくれる神様たちに心からの感謝を。
そして全ての飲食店勤務の先輩方に大きな大きなリスペクトを。
貴方がいるから、私はいつでもフニャフニャになれる。


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