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サラ・エバラードと女性への暴力

3月、帰宅途中のサラ・エバラードさんが警察官に誘拐・殺害された事件を契機に、改めて女性に対する暴力の根絶を訴える声が英国で広がっている

悲しいことに、こうした事件は後を絶えない中で、なぜ特にこの事件が改めて抗議活動の口火を切ることになったのだろうか。私も国民感情が読み取れるわけではないのだが、3月10日に国連女性機関英国事務所が公表した調査が関係しているように思う(その後の追悼式参加者に対する警察の過剰な取締りは火に油を注いだ)。曰く、英国の18〜24歳の女性の97%はセクハラを受けた経験があるとのこと。

こうした背景もあり、本件は「犯罪者が犯した一事件」ではなく、広く女性蔑視問題の一環で捉えられることとなった。

女性がより安心して暮らせるよう、具体的に何ができるだろうか。こうした問いに対して、男性が加害者であることが多いので、男性は◯◯をすべきといった、問題の単純化が往々にして図られる、もしくはそうしたトーンで語られることが多いように感じる方もいるのではないか。

例えば、人通りの少ない夜道を歩いている際、反対側から女性が歩いてくるようならば、男性は率先して道路の反対側に渡り、道を譲ってあげると良いといった意見がSNS上でみられた。フードをしている場合、フードを外して顔をみせることで道ゆく女性に安心感を与える。夜中ジョギングをしている時、歩行者を追い越す際は距離を取って追い越し、事前に後ろから声をかけるとなお良い等。

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(画像:ケンブリッジ中心市街へと向かう夜道)

男性読者はどう思うだろうか。男性だからというだけで、なぜ暴力的な存在と決めつけて、道を譲る義務があるかのような論調になるのだろうか、と困惑する方もいるかもしれない。例えば英国では、殺傷事件の被害者は女性より男性の方が多い。それにも関わらず、女性に対する暴力にばかり焦点があたり、全ての男性を潜在的加害者として扱う風潮はいかがなものか、と思う方もあるだろう。

実際、#Metoo に対抗するように、全ての男性が悪いわけではないと #NotAllMen が叫ばれたりする。 似たような話では、#Blacklivesmatterに対して、黒人に関わらず全ての命が尊いと訴える #Alllivesmatterを掲げる人もいる。もちろん、全ての男性が悪人でもなく、全ての生命は尊いが、こうした主張を展開することが、元々の問題(女性蔑視や黒人差別)を矮小化してしまう危険性を伴う。

要するに、女性蔑視の排除を訴える声は、男性の性を根本的に否定するものではないので、男性は自己防衛のために、まるでそこに問題がなかったかのように話題をすり替えないで欲しいと言いたい。

なぜ、わざわざこんなことを言うのかといえば、私自身、ジェンダーに関わる議論において、男性は根源的に暴力的であり、悪だと言われているみたいで、自己否定に陥りそうになるからだ。それを回避するために、男だってつらいんだよ、と言いたくなる気持ちは多少わかる。例えば自殺率は男性の方が女性より数倍高い。

とはいえ、男性の苦悩が、女性が今まで耐えてきた苦痛を否定する理由には全くもってならない。今後、男性の受ける暴力やセクハラもより焦点が当たった方がいいとは思うが、これらの問題は相反するものではなく、どちらかといえば補完的で、画一的な性役割が様々な軋轢を生んでいる、ということを表しているだけだ。

こう捉えるとどうだろう。男女ともに、より良い社会のために共闘できると思えてこないだろうか。例えば、さきほど例示した夜道でのマナーは、男性である私からしても嬉しい。なんせ、ロンドンの夜の街を歩くのは私も怖い。他の誰かのこうした不安を和らげることができるのなら、私も率先して行動するし、男女問わず相手もそうしてくれたら嬉しい。こうして夜道に対する不安が減れば、女性に限らず、誰だって嬉しいはずだ。

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(画像:ケンブリッジの主要通りに献花された花束)

もちろん、女性に対する暴力の根絶はそんな簡単に解決できない。男性が自らの性のあり方を問い、反省すべきことだってある。例えば、男友達との会話の中で、女性を見下すような発言をしていないだろうか?自問すべきことはたくさんあるが、これは私という人間を根源的に否定する事ではなく、より良い人間になりたいという向上心の現われと捉えればよい。

また、ジェンダーに関わる議論がより成熟することが期待される。どうしてもジェンダーの話題になると、(さきほど述べた一種の自己防衛から)一切聞きつけない男性や、トランプ支持者やブレグジット支持者を罵倒するのと同じように、「リベラル」な意見以外は一蹴する、という態度の人が現れる。故にこうした話題について書くこと自体、非常に慎重にならざるを得ない。

もちろん、被害者にとっては非常にセンシティブな話題なので、慎重に言葉を選ぶことは大事だ。一方で、自らも性役割の押し付けに対する被害者だと感じている男性にとっては、急な加害者扱いに困惑してしまう人もいる。こうした男性の考えも聞く必要があるだろう。ハンナ・アーレントが「現われ」の概念をで説明したように、各人がその体験を語り合うことができる空間を築き上げることが重要だ。

多くの女性が体験してきた苦痛はとてもリアルな問題で、一刻も早く是正されなければいけない以上、悠長に言説とか言っている場合じゃない、というのもわかる。それでも、男女という二項対立に問題が矮小化されてしまい、結果として本来の訴えが世間、特に男性に届くなる危険性だってある。この世から暴力がなくなればいいのに、という思いが一緒なのに、語り方・伝え方でですれ違っていたらもったいない。



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