水蜜

形而上夢世界

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最近の記事

燮の心

Mランドにはたくさんの看板があり、その多くに深いメッセージが込められている。 前々回の記事でもいくつかご紹介したが、さらに幾つか見つけたのでここでご紹介する。 前回の記事に登場した、喫煙者のチャラボーイたち。 あれから何故か色々な場所でばったり遭遇するようになり、その度に軽く話していたら妙に懐かれてしまった。もうどうでもよくなってタメ口で話している私を兄貴分のようにして、敬語で「お疲れ様です!」と近付いてくる。 やはり、髭面ロン毛が与える印象は大きい。 今日はたまたま学科教

    • 遅刻常習犯の虚飾性

      免許合宿三日目。 iPhoneのタイマーで7時ちょうどに起床。 点呼は7時20分から8時まで。安堵。 体感5秒後、Mランド受付からの着信。 「点呼って来られましたか?」 時計を見る。8時3分。 絶叫と共に一日がはじまる。 ダサいパジャマ(マインクラフトのTシャツとペイズリー柄の短パン)とボサボサの髪、眼鏡をかけたまま敷地内を爆走する一般髭面ロン毛男性。 息を切らして受付に滑り込んだ努力の甲斐もあり、点呼の遅刻については赦しを得る。 技能教習を受けるのに必要な配車券を受け取り

      • 笑顔と挨拶の国

        そうです、私はソウルメイト。 免許合宿、したことありますか? 私は今絶賛合宿中。 Mランド益田校。高校の先輩がここで教習を受け、なんだか愉快な感じになって帰ってきたのを見て、自分も愉快な感じになろうと思った。 何と言ってもこの教習所、とにかく怪しいことで有名なのだ。 例えば、日本円が通用しない。このMランドで使える通貨はMマネー。校内清掃や教習車の洗車など、善行に励むと手に入れることができる。単位はダラー。無駄なネイティブ。一応、日本円からの両替もできる。1ダラー100円。

        • 流行

           近所の小学生が「お兄ちゃん遊ぼ!」と言うので少し付き合った。四人ほどに囲まれて鬼ごっこなんかをしていると、突然一人が腕をクロスしてピョンピョンし始めた。「最近クラスで流行ってる」と言うので、インターネットを大層賑わせたあのリズムを口ずさむと、「それそれ!」と喜ばれる。一斉を風靡した猫ミームは小学生の間でも流行っているらしい。  今どきはスマートフォンを持って遊ぶ小学生を見ることも珍しくなくなった。我々の時代はニンテンドーのゲーム機が流行の中心、うごくメモ帳やMiiverse

          輪郭

           或る昼下がりの午後、私は村の神社の境内に敷かれた玉砂利の上に寝そべっていた。視界にはめいっぱいに広がった蒼穹と、あまりに巨大な入道雲が同居していた。その入道雲は長い時間をかけて輪郭の細部を変化させながら、蒼穹の只中を揺蕩っていた。その入道雲が動くのには、生物的な意思を感じた。彼は意思を持ってその輪郭を変化させながら揺蕩っているのだ。私の中で私がそう主張していた。いいや、そう感じているのはお前で、あれは水蒸気が空気中でもやもやと動いているからだ。私の中の掛川が反論してきた。掛

          山奥の 君がウクレレ 唱う場所 薄れた記憶 三十五歳

          山奥の 君がウクレレ 唱う場所 薄れた記憶 三十五歳

          脳整理

           三色団子は三つで一串なのに、みたらし団子はいつも四つで一串なもんだから、花見の最中ふと疑問に思って近くにいた友人に聞いてみたものの、彼はそれについて特に考えようとはしなかった。  帰宅、調べました。  時は遡り西暦1768年、日本に四文銭が誕生。それまで一文銭を使っていた民衆は、四文をワンコインで支払える利便性を気に入った。団子屋は、今まで五個一串で五文だったみたらし団子を四文に値下げして、ワンコインで気軽に買ってもらえるようにした。それに合わせて団子の数も一串で四個に。そ

          脳整理

          贖罪

          聖書に従って生きていれば正しくて、自己の存在意義が絶対的に定義されていた時代があったそうで。今となっては何が正しいとか、何故自分は生きているんだとか、「神は死んだ」なんてニーチェが言うから現代の若者の自問自答トレンドはこればっかりです。 斯く言う自分も生きる意味なんて分からなくて、日々模索するフリをしながら惰性で生きてます。 「自己肯定感」とはよく口にされるものですが、要は自分の存在を肯定する要素とそれを補強する外的要因、そこに過去の経験が減算値となって完成するんじゃないか

          孤独

          猫を見ていた。精々あと15年か20年ほどの生命を。きっと自分を置いて先立つ小さな猫を。 母を見ていた。自分より何十年も早くに生まれ、自分より何十年かは早く先立つであろう母を。 物質は流転し、その外形を変えて世を渡る。形のない生命は二度となく失われ、不可逆的な闇の中へと永久に吸い込まれてしまう。 或いは何処か行き着く先が在ったとしても、現世を生きる我々の視点では同じことである。 生命の終わりを見たことはあるか。今迄そこに在った意思が停止する瞬間を。脳裏に焼き付いて離れないその