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【写真について知っているいくつかのこと Vol.3】「写真とはなにか」についてby KISHI Takeshi

12ヶ月の折り返し地点、7月ですね!こんにちは。カロワークスのKISHIです。

梅雨模様の天気は相変わらずですが、九州地方では記録的豪雨による被害も深刻で、今年も大雨や強風による災害が心配な季節でもあります。どうぞ皆さまも天候の急激な変化にはくれぐれもご注意くださいね…!

さて、前回の私の投稿では、春から初夏にかけての写真業界で起こった出来事を取り上げさせて頂きましたが、先日もまた、大きなニュースがありました。

オリンパスは映像事業を分社化し、国内投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)に譲渡するとのことですが、歴史あるカメラメーカーの事業撤退は衝撃的ニュースでした。
譲渡先のJIPは過去に「BIGLOBE」や「VAIO」などの事業分割も手掛けた実績もあるため、ぜひオリンパスのカメラブランドである「PEN」「OM」などが残ることに期待したいですね…。

今回は、そんな写真業界・カメラ業界の激変の時代だからこそ、あらためて考えたい「写真とはなにか」についてのお話です。

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さて、写真をつくるためには、必ず何らかの道具や材料が必要になります。
写真の誕生以来、さまざまな写真技法が試みられ、写真の歴史を築いてきました。
(詳しくは弊社のKの「むかし試した古典技法の話」やタケウチの《写真の保存修復を考えてみた》の連載もご覧ください!)

そして1888年には、アメリカのEastman Dry Plate & Film Company(現在のEastman Kodak Company)「あなたはボタンを押すだけ、あとは私たちにお任せを」(You Press the Button. We Do the Rest.)という、有名なキャッチフレーズとともに「The Kodak」というカメラを発売します。このカメラには、あらかじめ、100枚撮影できるロールフィルムが装填されており、撮影後にカメラごとKodak社に郵送すれば、撮影済みのフィルムは現像・プリントされ、再度新しいフィルムが装填されて送り返される…という画期的なシステムで、誰もが簡単に写真を撮ることを可能にしました。

このKodakの考案したビジネスモデルは大成功を収め、その後、Kodak社は世界有数の企業として、20世紀の写真・映画業界を牽引していきます。(Kodakについては、いずれ詳しくご紹介させて頂きたいと思います…!)

現代でも、写真の機材や材料の多くは工業製品として生産・提供されており、ユーザーは自分の表現や用途にあった製品を選択して購入することで、自由に写真を撮影することが出来るようになっています。

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しかし、近年、このような「製品としてのカメラ」をめぐる状況に変化が生じています。

カメラ・レンズメーカーなどで構成される一般社団法人カメラ映像機器工業会(CIPA)は、国内および諸外国へのカメラやレンズの総出荷数量や金額の統計を毎年公開しています。

これによると、デジタルカメラ本体の総出荷数量の最盛期は2010年の1億2146万台で、2013年にはおよそ半分の6284万台2019年には1521万台と、この10年ほどで大幅な減少傾向にあります。これは、出荷総数のうち、大きな割合を占めていたコンパクトデジタルカメラがスマートフォンの台頭によって、激減したことが多大な影響を与えているようです。

上記は台数ベースでの比較ですが、金額ベースでも、最盛期の2008年の総出荷金額が約2兆1640億円だったのに対して、2019年は約5871億円と、約1/4ほどに落ち込み、現在、全世界的に「カメラ」の販売が伸び悩み、市場全体が厳しい状況にあることが判ります。

1990年~2010年台の期間だけでも、写真に関わる道具や材料は、フィルムや印画紙などのアナログの感光材料から、デジタルカメラやディスプレイ、プリンタなどのデジタル機器、そしてスマートフォンや画像編集・共有アプリなど、目まぐるしく変化してきました。私たちは、それらを総称して「写真」として取り扱っていますが、それぞれ異なる原理で、異なる性質の画像を作り出しており、特定の技術や媒体だけをもって「これが写真だ」と規定することは困難です。
それでは、「写真」はどのように定義することが出来るでしょうか。

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日本写真学会の『写真用語辞典』には、このような記述があります。

写真 photography;photograph
光,放射線,粒子線などのエネルギーを用いて,支持体上に視覚的に識別でき,かつある期間持続性のある画像を形成する技術および記録された画像。
『新版 写真用語辞典』, 日本写真学会写真用語委員会編, 1988年(初版),  写真工業出版社刊

この『写真用語辞典』日本写真学会(The Society of Photography and Imaging of Japan)によって編まれた「辞典」で、出版から年数を経ているものの、現在でも「なるほど!」と説得力のある記述が多く、手元に置いて判らない事があれば、見返している一冊です。
(ちなみに写真に関わるさまざまな事柄を解説した「事典」には同学会編の『写真の百科事典』(2014年.朝倉出版刊)があります。)

この「写真」の定義も、極めてシンプルなのですが、さまざまな示唆を含んでいます。以下では要素をひとつずつ取り上げて、その特徴を考えてみたいと思います。

① 光,放射線,粒子線などのエネルギーを用いる

人の手で画材や紙を使って描く図像や、3DソフトでモデリングするCGなどとは異なり、写真ではレンズなどを用いて効率的に光を集めて像を形成します。さらに絞りやシャッターなどの機構で、フィルムやイメージセンサに照射される光を調節することで、短時間で精細な画像を得ることができます!

また、フィルムやイメージセンサは、紫外線や赤外線、放射線など、人間の目には見えない波長のエネルギーにも感じる性質を有しているので、医療用のレントゲン写真などのように、肉眼では見えないものを可視化することができます

② 支持体上に視覚的に識別できる

フィルムや印画紙などの「感光材料」は、光に感じる微細な物質をゼラチン中に含ませた「乳剤」をフィルムや紙、ガラスなどに塗布して作られています。この画像の層を支えるベースとなる物体が狭義の意味での「支持体」です。現在、モノとしての写真は珍しいものとなりつつありますが、自ら発光して画像を作るディスプレイなどは果たして「支持体」なのか?と考えてみるのも面白いかも知れません。

また、人間の視覚は光を捉える受容器官である「眼」と、眼からの刺激を処理する「脳」の働きによって生じる感覚ですが、極端に明るい像や暗い像、ぼやけた像は、それを像として識別できません。また周囲の照明などにも大きな影響を受けます。画像自体の持つ明暗の階調変化や色、先鋭さなどの描写と、それを見る視環境、そして人間の視覚は密接な関係にあるものと考えられます。

③ ある期間持続性のある

もし撮影した写真が、すぐに消えてしまうようなことがあれば、その画像を誰かと共有することも出来ません。また画像が残り続けていれば、長い時間の中で写っている対象が変化したり、失われることがあっても、撮影された当時の状態を画像の中に読み取ることができます

また、写真は動画のように、短時間に高速で切り替わる画像ではないため、1枚の画面の細部を端から端まで時間をかけてゆっくり観察することが出来る点も写真の特徴といえるでしょう。

④ 画像を形成する技術および記録された画像

私たちは、画像そのものだけでなく、その画像を形成する技術やプロセスも「写真」の一部として扱っています。「写真とは何か」と考えたとき、それは誰かによって撮影された画像を見ることだけではなく、自分自身が写真を撮影して画像を作り出す、その過程にも思いが及びます。
写真を撮り、写真を見る、そしてまた写真を撮る…という繰り返しのなかで、さまざまな画像を形成する技術も生み出され、また改善されてきたといえるでしょう。


……さて、いささか、深読み、曲解、穿ち過ぎ…という気がしないでもありませんが、さまざまな「写真」の特徴をこの短い文章の中にも発見することが出来ます。
ちなみに、私は、この定義を取り出して「これに当てはまらないものは写真に非ず!」と断じたいわけではありません。むしろ、この定義に収斂されない事柄や、逸脱するものの中にも、写真を考えるヒントがあるのではないかと思います。

たとえば、光やエネルギーを用いて像を作る、という原理はイメージスキャナなどにも共通していますが、そうして作られた画像は、カメラで撮影した画像とはどのように違うものなのでしょうか。

写真は視覚的に識別されますが、視覚に障碍のある人は写真を楽しむことは出来ないのでしょうか。

災害など何らかの原因によって写真が被害を受けて、画像が変化したり、失われてしまったとき、それは「写真」では無くなってしまうのでしょうか。

そんな、現実に起きている出来事と「写真の定義」は繋がっているように思えるのです。

昔の人は「山を登る時ルートもわからず、頂上がどこにあるかもわからなければ、遭難は確実だ」と言いましたが、現在、写真の分野では、商業的にも、表現的にも、混迷し先の見えない状況にあるように思えます。そんなとき、私にとって方向を確かめるためのコンパスや、先人たちが歩みを書き記した地図を見るような思いで、この「写真」の項を開いて読み返しています。

いま現在、あらためて「写真」を定義するとしたら、それはどのようなものになるでしょうか。また、誰によってそれが成されるのでしょうか。そんなことを考える今日このごろです。

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……毎回、最後には、写真界を憂いて終わることの多い本連載(予定調和)ですが、もし写真について何か知りたい、考えてみたいという方のお目にとまれば幸いです。

ではまた来月お会いしましょう!お元気で~。

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