あなたと出会ったとき私は一目惚れを知った

これは、わたしが初めて猫を飼う決断をするお話


2013年ーー
その頃の私は「分からない」に支配されているときでした。

やりたい事が、分からない
好きな物が、分からない
趣味が、分からない
将来なにをしたいのか、分からない

「分からない」
「自分には何も無い」
それらが当たり前過ぎて、疑問にすら思わないでいたものがじわじわと滲み出てきて私の心をむしばみ出す。
後ろにも前にも、動ける気がしないときでした。

そんなタイミングで、友人の誘いでとあるセミナーに行くようになったのですが、いわゆる啓発セミナーで、この名称に対する一般的な印象はあまり良くないかもしれません。
私もその友人が親友で信頼関係を築けていたからこそ自らついていこうと選択したのです。
それ以外の人なら、たとえお金を積まれてもセミナーに足を向けることはなかったでしょう。

ですが講師は本物でした。
料金はおそらく他に比べて高額。しかしそれだけの価値は確かにありました。
(宗教ができるときはこういうカリスマ性を持った人が教祖になるんだろうな・・・)
それが第一印象。
妄信的な信者になることはなかったけれど、レベルの高いセミナーに参加できたことは今でも私の人生において大変意義のあることだと思っています。

感銘を受けるものに出会った直後というのは、とにかく高揚感が冷めやらないものです。
特に参加したセミナーは人生の目的と目標について熱く説くものでした。
といってもそういった内容は巷にあふれているのでしょうが・・・。

恐れずに自分の信念を貫くーー
自分を信じてやりたいことを目指すーー

素晴らしいことですね。
ただ、丸9年経って当時を振り返るとその時の私は順番を間違えていました。

「分からない」
「なにも無い」

この大前提・大問題と向き合うことを後回しにして高ぶる気持ちのままに「何かしよう」と躍起になりだしたのです。

その時にいい波に乗れていたら、若いうちに生き方が定まっていたろうにとたまに悔やむのはご愛嬌。


なにもないと言いつつ、イタリア語教室に通っていた私。
セミナー後の授業で普段と違うイタリア人の先生が教えてくれたことがあります。
女性で大学の講師をしながら、動物保護団体を運営されている方でした。

動物が好きな私はこの出会いに運命めいたものを感じました。
というのも、根っからの動物好きの私は好きであるがゆえに保護活動に興味と恐怖を抱いていたのです。
好きな存在が不幸である現実を知ることも見ることも、まして現場で体験することも怖くて仕方ありませんでした。

しかしそこでセミナーで学んだことを思い出したのです。
恐怖を乗り越える自分を信じる、行動する。

勢いのままに私はそのイタリア人女性にお願いをして、彼女が運営している施設でボランティア活動をさせてもらうことになりました。

主に犬と猫がたくさん保護されていました。
ボランティアとして手伝う内容はただ掃除をして水を取り替えて餌を上げる程度。それだけでも数時間を要する規模でした。

主に猫の世話でしたが、大好きな猫の世話なら何時間でも休憩無しでできます。
接客しかしたことのない私には一人で黙々と生き物の世話に時間を費やすのも新鮮な体験でした。家から距離のある施設に毎日通うことも苦ではありませんでした。

ただ、当時は全く自覚はありませんでしたが、ボランティア活動中の私は常に緊張し、恐怖を無理やり抑え込んでいる状態だったのです。
何しろ今までずっと怖くて避けていたものの中に飛び込み続けているのですから。
たくさんの飼育放棄された、私の大好きな動物たちに囲まれているのです。
これ以上の恐怖はありません。

でも当時はただ目の前の作業に必死だったのと、私は行動できてるという達成感に隠れて、その下にある感情には気づきませんでした。

そんなある日ケージに入れられた1匹の子猫が施設に運ばれてきました。

私は職員たちの輪から離れたところで、そのやり取りを他人事のような気持ちで眺めていました。
感情移入していてはキリがありませんから何も感じないようにしていたのです。

生後4ヶ月ほどのオス猫。
たいへん人懐こく甘えん坊で、施設内ではすぐに人気ものになりました。
私も休憩中はストーブ前に座り子猫を抱っこしたりしていました。

そんなことを繰り返していると、だんだん私の心は子猫に引き寄せられていきます。
会社で仕事をしていても、子猫のことを考える時間ばかりが増えていきました。
とはいえその時は実家ぐらし。とうぜん勝手なことは出来ません。まして、既に老猫を飼っているのです。

だから諦めなえればいけない。
少なくとも施設にいるから飢えることはない。

不思議なもので、そうやって諦めようとするほどに引き取りたい気持ちがどんどん溢れてくるのです。

子猫に出会って1ヶ月立った頃でしょうか。
ついに自分の本音に観念した私は、禁断の手段に出たのです。
「捨て猫を拾ってしまったので飼ってもいいか」
そう父に電話したのです。
嘘をついてでも、既に手元にある子猫を家に置かせてほしいと頼み込みました。
ちなみに電話は会社で休憩時間にしました。
早上がりができるとわかってすぐに電話したのです。

色々言われましたが、なんとか許可を得ました。
次に施設へ連絡して、あの子猫を引き取りたいと申し出ました。

猫はたくさん、子猫もたくさん。
その中でも何故か、どうしてもその子猫を引き取りたくてたまらなかったのです。
気の迷いだと諦めることも、とうとう出来ませんでした。

仕事を終えてキャリーすら用意せずに施設へ車を走らせる私。
保健所と連携している愛護センターと違い、法人ではあるものの個人経営と変わらないその施設では名前と住所を用紙に記入して引き取り手続きは終わりました。
もともとボランティア活動で出入りしていたのもあるでしょうが。

こうして、引き取りを決心して許可を取り連れ帰るまで一連の流れは数時間で終わりました。

生まれたときから猫とともにある私の人生。
何が必要は知っていましたが、自身で飼うのは初めてのこと。
すべての責任と費用は私持ちです。しかし目の前に子猫がいてはそんなことは些末なこと。

親に嘘はついたけれど飼うことの決心に嘘はついていません。

名前はどうしようか?
風邪気味で鼻水垂らす猫を見ながらあれこれ考えに考え、結局「風邪気味→風邪薬にはルルが効く→るる!!」
そんな流れで、人生初めて自分で飼う猫の名前は「るる」となりました。

セミナー経験を経て恐怖を押し殺してボランティア活動を始めて、人生の目的だとか目標が定まると思っていたのに。

気づけば私が達成したのは「私の家族」を作りました。

実家との関係がよろしくない中で、自分の部屋と自分の猫が私の家族・世界になった瞬間です。

懐こく甘えん坊で施設のときのように抱っこが大好きなわたしの「るる」
外に出して縄張り争いの際には一歩も引かず雄になった「るる」
近所からオレンジのたぬきと言われるほどフッサフサの長毛な「るる」
出勤から帰ってきたら朝と同じ体勢のママ反応がなく大急ぎで病院へ連れて行った「るる」
金で解決するなら幾らでも出すから全部検査してくれと言わせた「るる」
重度の貧血+自分で赤血球を壊す病気で危篤だった「るる」
退院時に高額請求で私が初めてクレジット10回払いをすることになった「るる」
私が続々家族を増やしていってもみくちゃにされながらも受け入れてくれた「るる」

6匹になった今でも一番で特別なのは「るる」であることは、墓場まで持っていきます。
他の家族には言えない自分だけの秘密。

人生の転換期に出会って、2022年9月の今も私の人生は、るるのためにある。




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