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働く意味を考える。そして重みを考える。

はじめに

仕事といっても様々なものがある。
マイナビによると、公務員や教員の人気が最近は高いそうだ。

私は16卒、一部で「ドローン型」と呼ばれていたころから
何とか8~9年ほど社会で仕事をさせていただいていた。
まだまだ若手なのか中堅なのかわからない時期だが
こんな目から見た社会と、周囲の人間から、
「仕事をする意味」を改めて考えようと思う。

まずは私の現在地

私が働いているのはIT分野。
「技術革新が多く、勉強を続けなければならない」
「産業天気図としてはおおむね"晴れ"」
「給料がいい」
「ブラック」
などなど、就活中はいろいろと印象があったものの、
結果、おおむね正解とも不正解とも言えない。

ただ、社会として、社会人として、
責任感を学べる職種であったように思う。
なぜなら、関わる人間が多く、またたった一つのミスが
大きな影響につながることがあると知ったから。

例えばだが、普通のプログラムは
「;」と「:」の使いどころを間違えると動かない。
そのくらい直せばいいではないか、と思うかもしれないが、
例えばこれがたまたま、
市民の電気系統を統括するプログラムだった場合、
適用した瞬間に、何万戸もの住宅で停電が発生する、
などにもなりかねない。

何年か前に公開され、かなり有名になった「サマーウォーズ」、
あのOZの世界と同じである。
一つのコマンドのミスが大渋滞を引き起こし、
最悪の場合、その影響で亡くなる方がいるかもしれない。
そしてそれが、1人2人の話でとどまらないかもしれない。

運良くか、運悪くか、そんな仕事も存在する(可能性がある)のである。

様々な仕事がある

さて、仕事と言っても様々で、
また私は上述の通りの、一つの企業でしか働いたことがない。
ただ、近年のSNS文化のおかげで、
普通なら関わりを持たないであろう人―――
例えば作家さん、演奏家さん、起業家さんといった方の
お話や「発信」を目にすることが増えた。

そして、「仕事による差分」と「行う人の意識による差分」が
存在することを、なんとなく感じ取っている。

プロ意識というのか、なんというのかわからないが、
そして先ほど誇張して書いた「システムにおけるミス」、
あれは正直「どの仕事にでも当てはまりうる」ものではないかと思う。

「給料」が示す意味

「いやいや、教師なんて人命に関与しないっしょw」
「作家が人の生死にかかわるって?w」
「演奏活動で誰かの命には関わらないよねw」
と思うかもしれないが、
個人的にどんな人でも仕事でも、「その可能性はある」と思う。

というか、お金をもらって仕事をしている以上、
どんな仕事でも、例えばYouTuberであっても、
同様の責任と、同様の影響を引き起こす可能性は
少なからずあるのではないだろうか。

一国の王族よりも豊かな暮らしをしている人間なんて、いないの。あたしが下女より恵まれた暮らしをしているのは、下女たちより重い責任を担っているから。だからあたしが絹にくるまれて生活してても、下女たちは許してくれえるの。頭を下げてくれるのよ。

『風の万里 黎明の空(上) 十二国記』P245 小野不由美 1994 株式会社講談社
※変換の都合上、原文表記より、一部表記を変更させていただいております

引用にある通り、「給料」は「責任」の代価だと思う。
また、「給料」は「期待」の投資だと思う。

給料は月々払い込まれるが、それは自分のお金ではないように感じる。
「今からお前に、これに見合うだけの価値提供を期待する」
そういって、他者が私へ与えてくれる金額、
それが我々の手にする "給料" ではないかと思う。

「趣味」か「広報活動」か

それを踏まえてYouTuberを見ていたり、Instagramerを見ていたら、
危うい綱渡りのような人もいるように感じる。

発信している内容に責任は持てるのか。
発信している内容に誤りはないのか。
何気なく放った一言で、誰かを傷つけることはないのか。

そういった点に疑問を覚えることがある。
作品の公開はよいだろう、
感情の、考えの開陳もいいだろう。
私が今書き連ねているこの内容も、
かなり尖っていると思うが、「私の考え」でしかない。

すべての正誤は受け取り側にゆだねられ、
情報の取捨選択責任は「読む人」のものになる。
ただだらだらと旅行記を書いた、
「ああよかったね」で終わった、
それならば特に問題がないのかもしれないが、

「この本を読んで人生が変わった」というように、
書き連ねられた文章や言葉は、他人の人生を変えることがある。
たとえその土壌がSNSであったとしても、
「そんなつもりはなかった」と言ったとしても。

読んだ人へ影響を与える可能性はある。
し、バズっているYouTuberやInstagramerは、そのぶん
「読む人が多い=影響される可能性が大きくなる」のである。
加えて、広告収入その他で収入を得ている場合、
責任もまた、生じるのではないだろうか。

さいごに

様々な分野への門戸を開き、
一般の人間も広く発信できるようになった昨今で、
どのような意識をもって活動をするか、
これは大きな影響が生まれるように思う。

校閲修正をかけたうえで出版される書籍や、
多くの目で内容を確認したうえで放映される映像作品とは
大きく一線を画すものが巷にあふれている。

個人のわずかなつぶやきがもたらすバタフライエフェクトがどうなるか
先の読めないこの状況で
何も考えず仕事を続けることの怖さを
うすら寒い思いで感じている。

ーーーと、言いつつ発信している自己矛盾。(笑)
これもまた、無責任な行為なのかもしれない。

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