見出し画像

正しい生き方って、どこに行けば学べるの?

とあることについて友人と話していた時、
友人がふと呟いた言葉に驚愕した。
その言葉の内容は書かないが、

そう思っているなら、きみはどうして
その言葉を伝えてあげないんだろう。
そう思っているなら、きみはどうして
こうした方がいいよって教えてあげないんだろう。

私はそう思ってしまった。

逆に、信頼しているからこそ、
「きっと大丈夫」と思っているからこそ、
「あれっ」と思ってもなにも伝えない選択をしたのだろうか。

確かに求められていないのに、他人の生き方に口を出すのはお節介なんだろう。
他人の悩みを自分事のように背負い込むのは違うんだろう。
そもそも背景も関係性も知らない私が何を言える立場でもないけれど。
他人の生き方に口を挟まない、はとても"正しい"姿だと思うけど。
私にはない考え方に、かなりドキッとしてしまった。

どちらかというと私は他人の問題に口を突っ込んだり、
感情を移入しがちだから、
自分と他人に一線を引く生き方のほうが"正しい"んだろうな、と思う。

「おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。けどそれは陽子の問題だな」
(講談社『月の影 影の海(下) 十二国記』小野不由美 著 1992年初版発行 p110)

これは、私の大好きな作品の一節。
楽俊が陽子に伝えた言葉。
楽俊の考え方はとてもニュートラルだと思う。
自分を持っていないわけではないけど、押しつけがましくない。
きっとこれは、一種の"正しさ"なんだろうな、と思う。

結局おとなになったら、皆自分の意志で動くし、
善悪も自分で判断するようになる。
インスタやその他のSNSで"正しい"生活を送っている他人や、
"こうあることが幸せ"と謳っているような姿をよく目にするが、
正直、そういった情報が溢れれば溢れるほど"正しさ"はわからなくなる。

恋人がいればいいのか?
結婚すればいいのか?
出産すればいいのか?
お金を稼いでいればいいのか?
マイホームを持っていればいいのか?

結局、すべては自分のために
「自分」が抱えられる範囲と、そうでない範囲を見極めて
今、「自分が」やるべきことをやる。
そうでないと生きていけないのかもしれない。
そうしてそれが、"正しい"姿なのかもしれない。

#創作大賞2023

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?