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【名盤伝説】 ”Sadistic Mika Band / 黒船” クロスオーバーな時代を切り開いたコンセプト・アルバム

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。70年代の日本の音楽シーンに衝撃を与えた、加藤和彦率いるサディステック・ミカ・バンドの2ndアルバム『黒船』(1974)です。

フォークソング全盛の1968年に「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせたフォーク・クルセイダースのリーダーだった加藤さんは、その後ソロ活動を経て、70年にミカとの結婚を機に、71年にミカバンドを結成します。

デビューアルバム『サディステック・ミカ・バンド』(1973)では、ロンドンの香りがするロックンロールやブギに、レゲエ、ファンクなど様々なテイストを盛り込んだ、まさにクロスオーバーな曲調に乗せた独特なウィットに富んだ歌詞が大変な話題となりました。

幾度かのメンバーチェンジの後に、加藤(Vo. G)、ミカ(Vo)、高橋幸宏(Drs)、今井裕(Key)、高中正義(G)、後藤次利(Bs)の布陣となり、アルバムのプロモーションをきっかけにして、プロデューサーのクリス・トーマス(ビートルズの『(ホワイト・アルバム)』のアシスタントプロデューサー、ピンク・フロイドやロキシー・ミュージックの制作にも関与)を迎えて次作を制作することになります。

74年から始まったレコーディングは、クリスのこだわりもあって延べ600時間にも及びます。各楽器の音だけでなく、様々な実験的な取り組みで音源を録り続け、トータルなサウンドメイクとして織り合わせるという、まさにコンセプト・アルバムというに相応しいものになりました。その時の様々な逸話がwikiで紹介されています。 (こちら)

こうして制作されたのが『黒船』(1974)です。英国人のプロデューサーと日本でアルバムを制作して世界に船出しようというコンセプトで作られました。その作品の素晴らしさは、プロデューサー氏の力量とともに、加藤さんのずば抜けた音楽センスの結晶ともいえます。日本に疼いていたクロスオーバーな時代をも切り開く役目も果たしたと思います。

収録曲
M1 「墨絵の国へ」~M2「何かが海をやってくる」
これぞコンセプト・アルバムというオープニング。静かな夜更けの闇を進む一艘の巨大な黒い物体…そんな光景を想起させます。まさにYesかPink Floydかという、国産のアルバムが遂に出たかという感じ。ポエトリー・リーディングは幸宏。

M3「タイムマシンにお願い」
超人気のロックナンバー。ミカのどこか投げやりでコケティッシュなボーカルが魅力的です。ラスト10回リフレインの後の11回目で得意げに「タイ!」って、この曲を聞くたびに何度やったことか。
・・・とあるコンテストで、加藤さん+アマチュアプレイヤー選抜メンバーで、この曲を演奏してほしいとお願いしたことがあります。エンディングの繰り返しの数が怪しくなるのが常ですが、「次でお終い」というタイミングで加藤さんが乗ってるふりして「ふぅ~」と合図を入れていました。見ていた私たちは「なるほど」と感心した覚えがあります。当初、当然ながら難色を示していましたが、本番で演奏を終えた後の加藤さんの笑顔は最高でしたね。

M4「黒船(嘉永六年六月二日)」~M5「黒船(嘉永六年六月三日)」
日本のロック系クロスオーバーの始祖。幸宏含めて全メンバーのテクニック炸裂。途中の叫び声は、本人のキャラクター通り小原が担当。当時大ヒットしていた「燃えよドラゴン」を意識したということですが、何故カンフー?西洋人には中国も日本も区別がつかないかなと。

M6「黒船(嘉永六年六月四日)」
高中感動の泣きのギターが心に響きす。自身初の武道館ライブの模様を収めた『TAKANAKA SUPER LIVE』(1979)をリリースする前哨戦のライブを観ましたが、この曲のイントロを弾き出した途端に観客が異常なまでに反応!。多分、高中本人はしてやったりと思ったのではないでしょうか。みんなミカバンド大好きだったんですよ。この曲が聴けて嬉しかったですもの(^^)。

M7「よろしくどうぞ」~M8「どんたく」
このウィットが加藤さんの作曲の最大の売りだと思っています。こんなに難しい曲に何てふざけた歌詞が…このギャップが病みつきになるのです。ギタリスト必修のワカチコワウはいつ聞いても絶品です。

M9「塀までひとっとび」
ファンク全開のベースラインが肝ですね。(湯呑)「ふたつ」のミカの合いの手は最高です。

プロモーションで出演したイギリスのTVショーで、この曲を演奏する映像がYouTubeにありました。凄いの一言。MCのおっさんも、ある意味すごいw。

M10「颱風歌」
ミディアムテンポのロックチューン。中間部のソロの掛け合い部分は、今聞いても恰好良すぎです。時代を超えるアレンジだと思います。

M11「さよなら」
加藤さんの静かでフォーキーな曲でアルバムは幕を閉じます。「遥かな国を夢見る」の歌詞には、メンバー全員の世界進出という思いがこめられているようで胸に沁みます。

在りし日のバンドメンバーの雄姿

ミカバンドは75年に3rdアルバム『HOT MENU』をリリースしましたが、同時に加藤さんとミカが離婚してしまい、ミカバンドも解散してしまいます。

バンドメンバーの高中、高橋、今井、後藤は、ミカバンド開催後にサディスティックスを結成し、高中は主にこのメンバーでアルバムを制作してソロデビューを果たします。

ミカバンドは1989年にはボーカルに桐島かれんを迎えてSadistic Mica Bandを再結成。さらに2006年には木村カエラをボーカルにすえてSadistic Mikaera Bandとして再々結成して活動しています。

2009年10月にはバンドの要の加藤さんが亡くなり、ミカバンドの歴史は終わりを告げます。ミカバンドは日本のロック・ポップス界に多大な功績を残しました。そんな活動のハイライトは、このアルバムだと思います。

高中が自身のソロ活動の中で「黒船(嘉永六年六月四日)」を今でも演奏し続けているのも、多くのファンに愛されたミカバンドのレガシーです。

実は加藤さんはタイムマシーンに乗って、どこかの時代からやってきた異星人だったのかもしれません。その音楽センスは、常に時代を先駆けていたように感じます。そんな彼が立ち寄った、同じ時代に生きていて良かったなと思います。


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