「家族」と言える”居場所”
昨日の新日本プロレス@後楽園ホールは、尾崎リングアナのラスト興行だった。
尾崎リングアナは新日本プロレスで19年半、リングアナだけではなく、営業からリング設営、選手の送迎等々多岐に渡る活躍をされてきた方、新日本プロレスの暗黒期もずっと新日本プロレスを支えてこられた方である。
ラストといえども通常の興行。尾崎リングアナはいつも通りリングアナとしての仕事をされていた。
試合中にお客さんや選手から労いの行動をされても、遠慮するような態度であった。
「主役は選手」という心がけが最後まで見られて、あらためてリングアナウンサーとしてのプロの姿勢を見せられた気がした。
最後のメインの試合が終わり、勝者となった田口、マスター・ワト組のワト選手がいつも通り試合を締めそうになったのであるが、そこはベテラン田口選手。ちょいちょいまてまて、と割って入り、尾崎リングアナの送別セレモニーに誘導した。
田口選手の言葉で新日本プロレスの大張社長はじめ、本隊の選手がリング上に集まり送別セレモニーが行われた。その様子がこちら↓
社長からの花束贈呈、胴上げ等、19年半を本隊所属の皆さんに囲まれてセレモニーが行われた。
そのセレモニーの中で、主役の尾崎リングアナからの挨拶があった。
最後の挨拶といえば、だいたいは思い出話や各方面への感謝の言葉等つらつらと述べることが多いが、尾崎リングアナは「一言だけ」として次の様に語った。
「新日本プロレスは家族と同じぐらい家族でした」
これほどにも多くが詰まった一言は他にあろうか。
言った本人にも受け取った側にも心に響く、本当に秀逸な一言だと思った。
家族だから良いことばかりじゃない。
でも悪いことばかりじゃなくて、楽しいこととか、一緒になってやっている感が強かったから『家族』と言える場所だったのではないか。
"人"ありきの場所。だから『家族』なのであろう。
仕事場が『家族』と言える人は幸せな人生を生きてられている。
自分にはそんな『家族』と言える場所があるか。
昔は確かにあった。大変なことや苦しいこともあったけど、一緒にやっていると思える仲間が居た場所だった。
その時は日々が幸せだった。『家族』と言える場所があったからなのであろう。
仕事場が『家族』と言えれば万々歳なのだが、それはちょっと難しいな、と思うので、違うところに『家族』と言えるような場所を探していきたい。
自分の居場所があると幸せな人生を生きられる。
『家族』と言える場所が『自分の居場所』になるのだろう、私には。
そんなことを気付かされた尾崎リングアナのラスト興行であった。
尾崎リングアナのコールが私はリングアナの中で一番好きだった。プロレスっぽさを一番感じる声とコールの仕方で、声を聴くだけでワクワクした感情が出てくるコールであった。
これまでのワクワクと、今回の気付きをありがとうございました。
尾崎さんの新天地が、新しい『家族』と言える居場所になりますように。
送別セレモニーの後であるが、尾崎リングアナは、会場の規制退場アナウンスもいつも通り行い、最後までリングアナウンサーの仕事を全うされていた。
尾崎リングアナ、19年半お疲れ様でした!!
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