神学者(独学)

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最近の記事

神学 悪魔論

・トマス・アクィナスは、悪魔(サタン)を、虚無、というように書いた ・であるならば、サタンは、虚無、ということになる(一旦、この解釈を受け入れる) ・そうである場合、イブはサタンにそそのかされて、知恵の実を食べた、というのは、虚無=嘘、だったことになる ・イブは、やはり、自らの誘惑にかられて、知恵の実を食べたことになる。そして、虚無=嘘、をついた ・神は、その虚無=嘘を、虚無=嘘、ということにできない都合が生まれることになる ・もし、イブが嘘をついた、ということが”

    • カトリック神学 カトリックにおける自殺者の定義についての一案

      ・さて、自殺者ということがある ・自殺者を片方に置きながら、われわれは、生き残ってしまったもの、でもある ・社会的な暴力、疎外、虐待がなければ、自殺者は自殺をしない、ということにおいて、まさに、社会以前における幼児や児童が、自殺をしない、ということ、また、動物は自殺をしない(0、なのである) ・このことに、激震、する必要がある ・おそるべくことに、社会、と接することがない限り、自殺、は、一切、そう、一度も、起きたことがないのである(宇宙史において) ・社会的なもの、

      • 神話

        ヤマト、は邪馬台、であろう。どのようにしても、邪馬台はヤマトと呼ぶ他にない となるとヒミコはアマテラスだろう(人々から籠もったという意味強度で、同定は、まあ、そうだろう。他国神話にも籠もりの伝説がどれほどか、ということから鑑みる必要はあり) では、なぜ、ヒミコはアマテラスで、邪馬台はヤマトで、と日本を綜合してしまわないのか 男系天皇の定めは強すぎて、上記の説が事実になると、男系天皇直系論か揺らぐからである ただ、それだけの理由で、ヒミコや邪馬台は、非日本的なものに、置

        • 神学 自死など

          ・キリスト教などの自死のすべては、強引にでも、間接的自死とされる、自己犠牲であった、とするべきである ・おおまかに、他者の負担にならないように、他者をその意味で救うための自己犠牲としての死であった、と強引に文脈を構築していくべきである

          神学 不条理について

          ■非条理神学/不条理について(ないし、その裏に隠された条理について) ・不条理と非条理がある ・不条理とは、「わからないけれどわかるもの」である。つまり、暴力、である(より言えば、実質的に暴力を受けていると感覚されることは、すべて不条理と呼ばれる) ・非条理とは、「わかるけれどわからないもの」である。つまり、神、である(より言えば、実質的に神と感覚されること、すべては非条理と呼ばれる) ・不条理を非条理のもとにすべて捧げるのである(具体的には、非条理が、不条理を超えて

          神学 不条理について

          神学 不条理、そして、恥辱ということと不幸

          ■不条理、そして、恥辱ということと不幸 ・不条理というものがある。それは具体的には、不幸となり、それが人間の人格に差し掛かる ・不幸とは、「不条理である」と不条理の最中にある人が叫んだとて、不条理と認められることは難しいということにある ・恥辱とは、その叫びと呻きのなかで、ついには、自らの声が、人々も掬いあげられないところに没落し、その叫びと呻きの非人間的な響きだけが、全く無意味に木霊していることである ・わたしのやっていることは、まさに恥辱の極みであり、わたしの声は

          神学 不条理、そして、恥辱ということと不幸

          神学 21世紀について断片

          ・難民。不幸。エネルギーにおける最下層にまで落ちた人々 ・シモーヌ・ヴェイユの述べたように、もはや人々が手を差し伸べられない程度まで、底を割って、不幸の極みにまで落ちた人々 ・ゆえに、神を愛し始められるのである ・不幸の極みにある人々、そのケノーシスがなければ、神を愛する原動は生まれ得ないからである ・このことは、21世紀においては、実存的な個々人のみに関係して閉じるものではなく、世界やその他の人々に関係が及んでいく ・善、としての、必然、が世界に生起する ・時間

          神学 21世紀について断片

          神学 肉の棘論(というよりメモ)

          ・肉の棘が刺さっている ・よく言われるような比喩ではなく、本当に肉体的な苦痛を強く伴う(右の背中に) ・痛み、である ・さまざまな痛みに変遷しながら、まさに、その痛み、ゆえに全く寝床から動けないようなことさえある(常に蠢いている) ・驚くべきことに、窒息、とか、針でさすようなものから、圧迫、それそのものが虫歯のような疼きになったり、あらゆる質感で、それこそ、呻くほどの痛みを伴う/というか、動けなく、なる ・それが、実存的な苦悩と帆走しながら肉体は苦痛に塗れる(耐えら

          神学 肉の棘論(というよりメモ)

          神学 サタン、アダムとイヴ、ヨブ、イエス・キリストの類型

          神に対して ・サタン「背けないのに、背く」 ・アダムとイヴ「背けるから、背く」 ・ヨブ「背けないから、背かない」 ・イエス「背けるのに、背かない」 順に、愛の強度は高くなる ただ、これだけの発展型だったのである ーーーー おまけ ーーーー ・ルネ・ジラールと松岡正剛さんが、文明の当初において「横取り」があった、としている。それが暴力の本性だと(横取りされたものは、迫害される/信頼や人徳を、横取り、されで左遷という名の迫害をされた菅原道真のように) ・それはそう

          神学 サタン、アダムとイヴ、ヨブ、イエス・キリストの類型

          推測の域を出ない非学術的な寄与(日本的な神学)

          ・神とされた菅原道真はおそらく冤罪である。京の異変があったときに、讒言やスケープゴートの隠された犯人意識が醸成されていないと、そもそも、祟りとして指し示すところの集団一致的な言語活動は起こらなかっただろうし、少なくとも、神として祀るまでの、意志や確信性による実行動が生じたとは到底思えない ・玉音放送における「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す 」の意味は、「忍び難きを忍び」にキーポイントがある。おそらく、事実はどうあれ、世界的変転において、

          推測の域を出ない非学術的な寄与(日本的な神学)

          神学/原罪とは何だったのか(自由意志がなければ愛たりえなかったこと)

          ※アウグスティヌス、トマス・アクイナスの自由意志や悪についての神学を継承発展させた新論である(まだ、以下の説を唱えた論者と論説、内容の展開は見たことがない2024年時点)/神学者さまに査読して引用してほしい ■原罪とは何だったのか(自由意志がなければ愛たりえなかったこと) 1 ・神は完全であるのに、なぜ、アダムとイヴに、原罪を犯す”余地(自由意志)”を与えなければ、ならなかったのか ※原罪とは意味的に何なのかは、後に浮上させる ・逆に言えば、アダムとイヴが、原罪を犯す

          神学/原罪とは何だったのか(自由意志がなければ愛たりえなかったこと)