神学 悪魔論

・トマス・アクィナスは、悪魔(サタン)を、虚無、というように書いた

・であるならば、サタンは、虚無、ということになる(一旦、この解釈を受け入れる)

・そうである場合、イブはサタンにそそのかされて、知恵の実を食べた、というのは、虚無=嘘、だったことになる

・イブは、やはり、自らの誘惑にかられて、知恵の実を食べたことになる。そして、虚無=嘘、をついた

・神は、その虚無=嘘を、虚無=嘘、ということにできない都合が生まれることになる

・もし、イブが嘘をついた、ということが”事実”になってしまえば、神とイブ(人間)は復縁不可能な、愛の絶縁に到達してしまう。なぜなら、別記事で書いたように、知恵の実を食べることは、神の他者性の殺害、である(二人目の神になろうとすることは、神の”唯一性”という他者性を犯すことであり、神のアイデンティティ=唯一性を破壊する行為であり、そのまま神の殺害なのである)。他者になり変わろうとする行為は、ルネ・ジラールの欲望の模倣理論が当てはまる
※このあたりのことは下記リンクよりお願いします

・神の他者性の殺害、ということが”事実”になってしまっては、もはや形式ではなく愛という性質からして神とは復縁できないことになる。で、あるときに、このことを、事実、にしないために、神は、悪魔(サタン)、をこの時点で本当に、はじめて、創造したことになる

・つまり、トマス・アクィナスのいう、悪魔=虚無説は正しく、かつ、イブ(人間)が、神と絶縁しないように、本当に創造されたことが伺われる(そこに神の創造の隠された、順序、があるということを考えてみました)





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