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蚕は野性には戻れない

1.カイコ(蚕)は人が世話をしないと生きることが出来ない完全家畜です。


カイコの生き物としての最大の特徴は
「野性に存在しない」
というか出来ないこと。


野生への回帰能力を全く持っていないという部分が完全に家畜化しているといわれる由縁です。

人に飼われ続けることで生物として新しい種へを変化した、とても興味深い生態を持っています。

※その証拠に元々の種である「クワコ」と呼ばれる生物は野生で立派に生きています。

↓クワコ

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こちらが蚕↓

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蚕の特徴は次のようなものです。

✔️木に登れない(登ろうとしても落ちる)
✔️白色の体色は目立つため容易に捕食される。
✔️翅をもつが飛べない
✔️口(口吻)はあるが餌を食べない。
✔️成虫の寿命は約10日


2.蚕の一生

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絹(シルク)は蚕(かいこ)から作られます。

蚕とはカイコ蛾の幼虫のこと。
蚕は一生の間に、卵→幼虫→さなぎ(繭)→成虫(蛾)と変化を遂げます。

蚕は生まれてからずっと桑の葉しか食べない究極のビーガンです。
「この世の桑の葉の1%が蚕になっている」と言われるくらい沢山食べ、
蚕の成長に桑の葉は無くてはならないものです。

成長の過程で4回ほど脱皮を繰り返し、4週間位が経った頃に繭を作り始めます。
これが成虫への準備、短い冬眠の様な生活が始まります。


この時、蚕は口から白く細く透明な糸を吐き出します。
自分の体をスッポリ包み込む様に丁寧にゆっくりと、
丸2日間をかけて繭を紡いでいきます。

幼虫はこの繭の中で更に脱皮し、さなぎとなります。


そこから2週間程で成虫(蛾)へと成長し、
夜明けと共に繭を破り、外の世界へと出てきます。

これからこの世界を自由に飛び回る事が出来る…

本来ならその筈なのですが、
この後成虫はわずか10日程で死んでいってしまいます。

何故ならば、
今の蚕は人間によって品種改良された
「絹を採る為だけのもの」
「二度と野生には戻れない昆虫」、だからなのです。

蚕の歴史は遡る事5000年前。


中国で発見された事が始まりでした。

美しい繭を作る事から、絹産業の商業な目的で
人の手による繁殖と養殖が始まりました。

それから幾度も品種改良を繰り返され、
蚕はもはや家畜化昆虫として扱われる様になり、

今や
「野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物」
とまで呼ばれるようになってしまいました。

度重なる品種改良により人間の都合の良い様に変えられました。


その結果、
今の蚕は逃げれられない様に
脚の把握力がとても弱く、

野外の桑の葉に置いても上手く歩けず、

樹木に自力で付着し続ける事も出来ず、

滑って地面へと落ちて死んでしまうのです。

そして、さなぎから成虫に羽化してからも、
羽根に対して体が大きく、
飛翔に必要な筋肉が退化している為、
いくら羽ばたいても飛ぶ事が出来ません。

蛾として生まれてきたのに、地面を這いつくばって歩く事しかできない。
しかも、品種改良により、成虫には口がありません。

成虫になった蛾は何も食べる事ができないのです。
飛ぶ事も、食べる事も出来ず、すぐに交尾させられ、
500個ほどの卵を産んだら僅か10日で寿命が尽きて死んでいきます。

卵を産む為だけに生まれてくる命。

これを人間に置き換えたらどうでしょうか。

この世に生まれた瞬間、手足が無いのです。

そして口も無い。


ご飯を食べる事も歩く事もできず、
子どもを産む為だけに即SEXし、産み終わったらすぐに殺される。

そして、産んだ赤ちゃんはどうなるのでしょう。

幼虫の蚕は前記の様に、丸2日間寝ずに、
絹糸を口から出し続け、繭を作ります。

この絹糸を傷付けずに搾取する為には、
さなぎから成虫になる前に繭を解かなくてはなりません。

つまり、中の蚕を殺す必要があり、
故に繭をそのまま熱湯に入れて湯掻くのです。
これが絹糸の採り方です。

小さな体の蚕から出される生糸の長さは全部で1500メートル。


私達の小指にも満たない小さな蚕が、
一生懸命口から出した1500メートルにも及ぶ絹糸は、
私達の衣服や化粧品の原料へと加工されます。

彼らの命そのものです。

蚕はとても優しい生きものです。
白く、美しく、冷たく、触っても噛む事もなく…。

お年寄りに蚕の写真を見せたら、
殆どの人が「お蚕さん」「お蚕様」と言います。


蚕はその昔、「神蚕」と書いて「かみこ」と読んでいました。それがカイコの名前の由来だとも言われています。

日本では蚕は神と同じ立場であり、
神聖な生きものとして大切に扱われ、蚕神を祀っている神社も全国にあるほどです。

わたしはこの事実を知った上で、
着物を扱う仕事をしています。

着物人口は減ってきていますが、
受け継いでいきたい日本の文化のひとつだと思っています。
それは、こうした命の上に成り立つものである、という事を常に考えながらでなければいけない。
と、感じずにはいられません。