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「優等生」の落とし穴
気が付けば最後のnote投稿から1カ月が経ってしまっていた。
毎週投稿を決意していたのに…(笑)
まあいい。過去の私なら、継続出来ない自分に萎えて投稿することを辞めていただろうけど、そもそも書きたい時に書けばいいものだろう。
休学して二か月が経ったが、緩い日常を過ごしている。大学受験期までの私が見たら発狂しそうな日常だ。自炊したり、海外ドラマを一気見したり、帰省して家事を手伝ったり。たまに友人と飲みに出かける。
一度も立ち止まることなく人生を駆け抜けてきた人からすれば、生産性のない日常かもしれないけれど、こんなにも焦燥感なく生きるのはいつぶりだろうかと日々を謳歌している(笑)
周りの皆と同じ速度で、人生の駒を進めるものだと心のどこかで思っていた。
人生に正解はないなんて、人間が呼吸するくらい当たり前の話なのに受け入れられなかった。
そうだ、これこそが優等生の落とし穴だと思った。
優等生の落とし穴
私はどちらかというと優等生タイプで生きてきた。とはいえ真面目くさっているのは嫌いだった。皆を笑かし、盛り上げるタイプだった。体育祭では団長をした。一方定期テストはクラス一位を死守するためコツコツと努力もした。
当時は「何でも出来る自分」という像を守ることで自信を得ていた。
最近は学校で測れる出来る能力なんてしれていて、社会の方が自分の能力を活かせる場所が多いよ!みたいなことをよく耳にする。しかし、入学したばかりの私は、真逆じゃないか、と思った。
「何でも出来る自分」というのは、ちっちゃい世界の中だけだった。
今までよりも広い世界に来て、自分がちっぽけで何も出来ない無価値な存在だと思い始めた。思えば、これが21年間で最大の挫折だ。
無価値感を原動力に努力の方向に舵を切るのではなく、過食や代償行為という自傷行為に走った。優等生でなくなってしまった自分を何かのせいにしたくて、仕方なかった。
優等生という肩書を失い、もがき苦しんだ数年間に、他の誰かは人生の駒を進めている。
でも過去に縋り付き、今を生きることが出来なかった自分を、今は責めようとは思わない。
大きな苦難を乗り越えた先には、誰かを励ますことが出来る武器になるだろうから。
優等生として生きた過去は良い過去だ。
今後は肩書や周囲の評価じゃなくて、自分の納得出来る人生を歩んでいきたい。
過去の私、お疲れ様!
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