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「致命的な些細な一言」

好きなnoteの書き手がアップしていたから開くと冒頭に「友愛の人」と書いてあった。うっとりした。響きがいい。

字義的には兄妹や友人に対する親しみの感情らしいけれど、私はもう何年も前から代替がないかなぁと考えていた「友達以上恋人未満」にぴったりの言葉だと思った。くらくらした。

今までは便宜的に「大切な人」と言い換えていたが、全然しっくり来ていなかったのだ。友達以上恋人未満は傘と同じで、時代が進んでもアップデートされない宿命の象徴のように思っていた。友達以上恋人未満ってちょっとダサい、なのに替えの効く言葉がない。でも。「友愛の人」かぁ。友達でも恋人でもはみ出てしまう機微を表すのにちょうどの表現だと感じた。私はこういう、うっとりする些細な一言がたまらなく大好きだ。

落ち葉を見て、「うわっ、虫がいそう」と言うのか、「パキパキ音がして楽しそう」と言うのかでは印象がだいぶ異なるし、言葉の細部にその人が宿ると信じている。

反対に少し前、また別のとても好きな書き手の「些細な一言でぷつんと想いが切れてしまう」という趣旨の内容を読んだときも感じたように、致命的な些細な一言もあると感じている。

誰かが言った無意識の嘲りで、すっと気持ちが冷えることがある。むしろ、誰かと距離を置くときは、大きな話し合いの席で出た暴言よりも、日々の、ぽろっと出た一言で気持ちが離れるほうが多い。たとえば身なりの良くない人を見かけて「ああはなりたくないね」とこちらに安全圏の立場の共有の笑みを向けるような。

仲良くなるための些細な言葉なのだろう。ただ、ふと出た言葉の端っこを指でぎゅっと挟みずるずるずるっと引っ張ると、その人の根っこの部分につながり、しかもその本質が自分とは決定的に相容れない「致命的な些細な一言」ってあると思う。

ーー日々の生活でもオンラインでも、良いニュースより悪いニュースが届きやすい。人にはネガティブを受信しやすい性質があるし、「嬉しかったこと」より「悲しかったこと」の共有が親密になるきっかけにもなりやすい。

けれど、いいニュースこそ受け取りたいし届けたい。それにはちょっとした意識付けと訓練が必要なのだろう。致命的な些細な一言が本質に届くように、くらくらする些細な言葉もまた、本質に行き着くのだと思う。そういう言葉、やっぱり好きだなぁ。

ポップな内容にしようと思っていたら、思いがけず真面目な話になってしまった。ただ個人的にうっとりしただけだったのだが。

友愛の人。何度読み返してもぴったりだ。言葉に出しても響きが良い。

そうしてエッセイを途中まで書いたまま、私はとても大切に想っている人と電話をした。今日から彼女との関係性は「友愛の人」になる。電話でこの話をしてみたら、「確かにしっくりくる」と笑っていた。

あとこうも言っていた。「にしても『友達以上恋人未満』って言葉、ちょっとダサすぎたよね」

そのとおりだと私は思った。みなに幸あれ。

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