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本の表紙になったことがありまして。

本の表紙になったことがある。その本はけっこう売れていて、特に読書好きの間で知っている人は多い。

顔写真が載ったわけでもシルエットが載ったわけでもないので、その本の表紙を見て「あっ、これはあおくんだ!」と気づく人は100%ゼロだ。うまく説明できないのだけれど、私について書かれたとある文章が、本の表紙に採用されたのだ。

普通に自慢すれば良いのにまぁまぁぼかしているのには理由があって、それは、その本を好きな人の夢を奪いたくないからなのです。

私について書かれた文章はーー内容が素敵なのでーー結構胸にグッと来る人が多いらしく、その本のジャケットの話を日常生活で4、5回聞いたことがある。

くやしい。もし私が見目麗しい人間だったら「それは僕やで」と言えるのに。もし現実の私が誰かに話してしまうと、「なんだこいつかよ」になってしまう。小説や文章から想像される、素敵な人物たちはだいたい美しい人だ(魅力的な人物を想像させる内容を読んだ時にわざわざ容姿が良くない人を想像するほうが少数派な気がする)。

つい数日前も、図書館で本を借りようとしたら、隣で借りる本を選んでいた見知らぬ女の子がその本を手にとって装丁をしげしげと眺めていた。そしてそのまま貸出カウンターに持っていった。隣にいた私は「それはワシじゃ」と言いたかった。でも、そのかたの夢を奪う権利は私にはない。

ーーだがその夜、千載一遇のチャンスがやってきた。社会人でありながら年に200冊以上本を読む女友達から、「自慢できることってある?」と話をふられたのだ。その女の子とはもう10年以上友達をやっているし、仲もかなり良い。1人くらいには言って良いのかもしれない。そうして私は心置きなく自慢することにした。

「実はさ、本の表紙になったことがあるんだ」

「えっ、すごい。モデルになったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」というと、女の子が「?」みたいな顔をした。私が事の経緯を説明すると、なぁんだ、顔が載ったわけじゃないんだみたいな顔をした。えっ、どうしよう。私は凄いことだと思っていたけど、実は大したことなかったのかなぁ。〇〇ちゃんが普段読むジャンルとは違うかもしれないけれど、とても素敵な本なんだよ。さっきはまぁまぁ売れたと言ったけど本当はかなり売れているんだよ、と脳内だけでつらつら言い訳した。でも顔が載ったわけじゃないし、確かにすごくないのかもしれん。つらい。

まだ一人にしか話していないけれど、今のところ私の自慢は大したことがないらしい。

だいぶ落ち込みつつも、雑談の続きとして女の子の自慢を聞いてみた。女の子はちょっと考えて、「本関連で言うと、本の中に私が出てきたことがあるよ」と言った。

「えっ、そうなの?」

「うん」

「人物が特定できるような形で?」

「うん、名前も出てきた」

ーー負けた。何にかはわからないけど、負けた。「何だ、この文章はこいつについて書かれていたのかよ」とがっかりされるほうがずっとマシだった。自慢ジャンケンで負けただけでなく、なんだかその本の素晴らしさまで損なってしまったような気がした。

その素晴らしい本は、これからも多くの誰かを魅了し続けることだろう。だからこそ私は人々の夢を守るため貝のように口をつぐみ、100年の孤独を甘受しようと思う。

でもいつか、何らかの形で、バレて、結果モテたい。今私が望むのはただそれだけだ。みなに幸あれ。

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