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「ジムに行くためにいま体を鍛えているんだ」

「ジムに行くためにいま体を鍛えているんだ」と隣の席から聞こえてきて、あぁそれすごくわかる、と思った。

彼もーーその発言をしたのは男の人だったーーその友人も、他人である私も、そのカフェにいた全員がわかっている。「ジムこそ体を鍛える場所だ」と。

でも、ジムに行くためにいま体を鍛えているという言葉には、普遍的な機微があって、聞いた人に思わず「わかる!!!」と深く頷かせる力を含んでいる。

「ジムに行くために体を鍛える」の解像度をちょっとだけ上げると、ぷよぷよした体でジムに行くのは恥ずかしいから最低限鍛えてから行くことにする、だと思う。

この、「ジムに行くため体を鍛える」は、矛盾しているようで実はすっと入ってくる言葉だよなぁと思う。それを素直に話した彼にうっとりする。

彼は本質的には体を鍛える話をしているのではなく、前段階の「下準備」の話をしているのだ。

「おしゃれな服を買い行きたいからその前にネットでおしゃれな服を買う」
「けっこういい値段のお寿司を食べに行くためにまずはちょっと良いお寿司屋に行く」

と一緒で、今まで頓着のなかった場所に出向くためにはそれなりの準備が必要だと思っているのだろう。自意識が高い私もつい思ってしまう。それは何故か。たぶんそれらの場所が「無言の社交場」だからだ。

ジムも、高級な服屋も、お寿司屋も、間接的に人と関わる「無言の社交場」だ。

そういう場所に行くと、たとえ無言であっても「私はこういう人間です」という表明が、見た目や立ち振る舞いで相手に伝わってしまう。つらい。

もしこれが、
「外国のかたと話したいから英語が堪能な日本の友人と話している」
「好きな女の子とのデートで緊張しないように、女友達にシミュレーションに付き合ってもらっている」

であったら実はあんまり問題ない。外国のかたと英語で話したいなら一足飛びで普通に話してしまえばいい。英語ができなくて恥ずかしくても、会話のなかで直接「あまりうまく話せないけど頑張りたいんだ」といえばいいし、女の子とのデートでも「いま緊張してる」って言えばいい。

ただ、ジムの場合は基本的に直接的に誰かと話すことがないから、こちらから声をかけないと弁解のしようがないのだ。「ねぇちょっとみんな聞いて! 私、ジムに来るの初めてで緊張してるしうまくできないけど気にしないでね」と大声で発信するとやばい人になってしまう。困る。

実際にジムに何年か通っていた私からすると、ぷよぷよでもほそほそのかたが来ても誰も何も思わないと知ってはいるのだけれど、行く側は気になるんだろうなぁと思う。そして、全然行ったことのないお寿司屋さんは、やっぱり見られている気がしてしまう。

ーーだからさぁ、とジムに行くために体を鍛え始めたらしい彼が言う。

「だからいま色々な器具を揃えているんだよね。やっとダンベルと、懸垂するための懸垂バーと下半身を鍛えるためのトレーニングベンチを手に入れたよ」

彼の友人と、他人である私と、そのカフェにいた全員が思った。それはもうジムに行く必要はないのではないかい?

彼のジムデビューはとても華々しいものとなるだろう。コーヒーを奢ってあげたい気分だった。みなに幸あれ。


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