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自然と感覚と理解と建築

感覚からの理解。
僕は幼少期は田舎で暮らしました。ほんとなんもない。山と川と犬しかいない(笑)自動販売機は自転車で15分くらいの所にある。

そんな変な所だから遊び道具すらない。
だから、僕は遊び方から遊びを考えなければならなかった。
そんな僕の気持ちに一番反応してくれたのは山だった。
なぜなら山は毎日変わってくれるから。
山は動かないけど毎日変化してくれる。土の湿り具合や動物の荒らし方や落ち葉の数など。そんな環境は僕にとって最高の遊び場だった。

例えば、山に行く2日前まで天気が良かったら土も乾いているはず!
だから今日は自転車で山を走ろう!斜面を走ってみよう!みたいな。

そこには人間が逆らうことが出来ない自然という強敵とどう共存し、生きればいいかを常に考えている自分がいた。

そんな感情を持った上で学校の授業を受けると疑問を感じていることが多かった。

学校での体育の時間の走りの練習は走り方だけを教える。
人が作った地面の上でどうしたら速く走れるかは教えてくれる。

でも、友達を僕の家の近くの山に連れて行って、山の斜面や平面な場所でかけっこをするとみんな直ぐ崩れ落ちたり、転んだりする。

走り方を学んでも、人間が作っていない自然が作ったフィールドでは何もその走り方は生かされない。

そんな事を思いつつも、人間社会で生きていかないといけないと思っているし、そうだと確信しているけど、そんな自然と人間についての関係というのはずっと考えている。

答えで溢れている世の中だけど、この問いに納得できる答えはまだ僕には見つかっていない。


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