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政治の基本的な知識や考え方について学んだことを解説してみた

僕は何もわからないし何も知らない。

でも、知りたいという好奇心だけはある。

そんな好奇心だけあって何もわかっていない自分だけど
一つだけは僕の中で確実に分かっているというか気づいた大切なことがある。

それは、知らないということ知ること。

知らないおかげで逆に恐怖心なく突き進めてうまく事が運ぶこともあるけど、そんなこと宝くじに近いし本質はギャンブルと同じ様な感覚だから、その状態に依存したくはない。

なので今回は僕が一番よくわからない、政治について聞いたこと、学んだことをアウトプットしてみます!
また、ここで書くのはほんの一部の一部にすぎないので!


政治の流れをドラえもんに例えると

(ちょっとアレンジしています笑)

あなたはのび太になったつもりで読んで下さい!

あなたは小学生で3人暮らしだ。
(まだドラえもんは居ない設定で)
ジャイアン、スネ夫から学校帰りにボコボコにされる毎日。
あなたは精神的にも肉体的にも限界で家族も心配する毎日だ。
こんな毎日に耐えきれなくなったので一家は先日、あなたの部屋の机から出てきた青いロボット(ドラえもん、その日はそのまま帰っちゃった設定)に連絡してドラえもんを雇うことを決断した。(実際は雇ってないよ!)

雇った目的は「野比家の大切な息子であるあなたの安心した生活のため」
ドラえもんはその目的に同意してあなたの家に住むことになった。

そして住み始めて気づいた。
ドラえもんはあなたよりご飯を食べる。
食事量はあなたの2倍だ。
また、ロボットなのに人間と同じ生活スタイルなので出費は半端なく増える。

でも、ドラえもんが来てからはあなたは毎日楽しく暮らせている。
頼んだら宇宙や未来や過去にも連れて行ってくれる。

なので、結局は野比家の安全(利益)を守ることになっている。

ジャイアン、スネ夫からあなたを守るという家族の
「共通の目的」はその家族「本人」だけでは実現できない。
そこで、「代理人」としてドラえもんを雇い、あなたの安全を守るだけではなく、ドラえもんが未来に帰って、あなただけになっても、自立して学校生活が送れるように教育、しつけを担当する。


政治の流れもこんな感じ。
世界規模でみると「本人」は主権者の国民。
本人である国民の利益の実現が「共通の目的」
その目的の実現のために国民は「代理人」にあたる政府を雇うことになる。

「本人」「代理人」を観察し、時にはコントロールする必要がある。

ドラえもんの例えでは共通の目的は明確だったが、政治の世界ではそうはいかない。どういう目的を達成するかが、政治の世界の重要な論争になる。


政治の対立で問題になること


「保守的」と「進歩的」と同様に用いられてきているのが
「右」か「左」かである。

「右」と「左」の始まりはフランス革命後の議会。
議長席からみて右側が保守派、左側が革新派が位置していたことから
今ではこの呼び方で呼ばれる様になった。

「右」とは政治的には自由民主主義、資本主義側、過去の体制に何らかのこだわりを持つ立場。

「左」とは政治的には人民民主主義、共産主義側、徹底的な変革を目指す立場。

最近の政治体制は自由民主主義が世界各国に浸透してきている。
また、「左」「右」との距離の置き方でどちらの党派性かを図るということに意味を持たなくなってきている。

なぜそう言えるのか。
その理由として挙げられる今の大きな論争の問題となることを挙げてみる。

争点

1 経済政策をめぐる意見の対立

2 福祉政策をめぐる意見の対立

3 安全保障をめぐる意見の対立

4 宗教が政治に及ぼす影響の大きさ

5 多数派の支配的文化が少数派の社会進出などの封じ込めに異議立てる発想

6 近代国家の暗黙の前提となっている枠組みに対する見直し

7 科学技術の発達による危険性

これらが大きな問題点として挙げられる。

国の安全のために効果的な政策が個人の権利などを部分的に侵害することがないかなど、両者のバランスをどう取るのかも必要になってくる。

複雑な現代社会の争点は多種多様で利害関係も複雑になっている。
単純に右と左という対立軸では問題が分かりにくくなっている。


一次元モデルと三次元モデル


現代の政策を概念図で表して考えてみる。
政治を考える上で用いられる手法の一つ。
縦軸と横軸を設定する。


二次元性

縦軸を政治的な統制。
例えば個人の思想や表現の自由や職業選択の自由をどこまで規制をかけるかを。

横軸は経済的強制。
市場における自由競争を尊重するか、政府で市場をコントロールするかといった感じ。強いと社会主義的、弱いと自由主義的となる。

縦軸と横軸を組み合わせて、そこにいくつかの政治イデオロギーを当てはめる。(イデオロギーは観念と思想が合わさったような状態のことをいいます)政治的、経済的な統制が強い政治がファシズムスターリニズムなどの全体主義で、その両者と真逆の体制を無政府主義(アナーキズム)という。

ファシズムとは独裁主義のことで大衆を積極的に利用して、自由や人権を無視すり国家主義を掲げて、反対派を弾圧する。この政治体制や思想を指します。代表的なのがムッソリーニのファシスト党、ナチスのナチ党。

一例として、リバタリアニズム(自由尊重主義)からわかることは経済と政治の統制も最小限にするのを目指していたので、無政府主義と同じ象限に位置することがわかる。

また、今までは一次元の対立軸で扱ってきたことが多かったが、政治の次元と経済の次元によって構成される二次元の中の四つの方向性のうちの右上対左下の間に対立軸があることが分かる。

その上でさらに一つ軸を増やしてみる。
文化的、社会的統制の強弱を増やしてみる。
文化的なものが強いとその国での伝統的な価値観や思想の保持感が強いということを指します。

この軸がほかの二つの軸と異なるのは規制を行う側の存在である。
文化的、社会的統制は政府が行うというより、むしろ共同体や宗教組織が規制の主体になる。

三次元性

この文化的規制が極端に強いのが宗教原理主義が政治権力を把握した場合や極端なナショナリズムに基づく体制などから考えられる。

この軸を増やすことでわかる事は他の二つが「進歩的」とみなされていても文化的に「保守的」な勢力が入ると批判される確率が高くなるという事である。



このような考え方から、さまざまな政策について異なる考えを持った「本人」が存在するときに「代理人」はどのようにして考え方をまとめて行動に移せば良いか。

日本では最終的な決断は多数決で、最も多くのが賛成する考えを政治に反映させなければならない。

果たしてこれは理想の形なのでしょうか?











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