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曙太郎は親子3代の青春だった

先日、初の外国人横綱、曙太郎さんが亡くなった。

祖母はその当時のおばあちゃんらしく、大相撲が大好きだった。

曽祖母はボクシング、曽祖母の言葉を借りると拳闘派だったそうだ。

専業主婦の母、まだ子供だった私と弟は相撲の場所が始まると、夕方は相撲を一緒に観ていた。

因みに、ブームとか関係なく、毎場所しっかり観る。

ばあちゃんはそんな時、煎茶を注ぎ続けてくれる。

祖父母は両国にも行ったことがあるそうだったが、普段はもっぱらテレビ観戦だ。

当時、テレビがいろんな部屋にある訳でもなかったので、居間で一つの番組を観るというのが我が家のスタンダードだ。

祖母の相撲観戦は取り組み以外の時間もとても忙しい。

懸賞の数を数え、映り込む観客の観察、芸能人を見つけたり…
お馴染みの観客の姿は特にしっかりチェックする。

この祖母とは父方の祖母、私と弟、そして血のつながりはない母もこれこそが相撲の楽しみ方だと今でもしっかり身に刻んでいる。

最近は昔より懸賞が数えにくいアングルになっている。
NHKさんの事情だ。
祖母は「ひー、ふー、みー、やー」と声に出して懸賞を熱心に数えていたのが印象的だ。

やっぱり人気力士、役力士につく懸賞は多い。ばあちゃんの楽しみだ。ちょっと下衆くてばあちゃんのそんなところが私はとても好きだ。

そして、若貴ブーム、オワフ島からのスター力士が相撲界を席巻した。

私は勿論ウルフこと千代の富士も大好きだった。
ウルフも今はゆっくり休んでいるのだろうか。

ばあちゃんはとても大きなリアクションをとって、相撲を観る。
そんなばあちゃんの盛り上がりのおかげでテレビ観戦でも臨場感増し増しだ。

やっぱり横綱が複数人いて、個性的な人気力士揃いのあの時代は本当に盛り上がったのだ。

子供ながら、いい時代を過ごせたんだろうと思う。

曙はヒールだとか、当時の私にはわからなかった。
外国人なのに日本の特殊な相撲の世界でトップにいるってすごいとは思ったが、祖母も母も若乃花と貴乃花が日本人だからと贔屓はしていなかった。

弟の推しは小錦だ。

そのうちに、私たちは祖父母を日本に残し、父の異動に伴い海外に引っ越してしまうのだが、大相撲を祖母と母と弟と毎日一緒に楽しめたのはかけがえのない時間だった。

そして、私たちの相撲観戦の時間を年齢性別を超え、盛り上げてくれたあのスターたちは特に私たちの青春と言っても過言ではない。

今も私は亡き祖母を想って大相撲を観る。
母もそうだ。
勿論、取り組みの時間以外も心身に刻まれた祖母の方式でとても忙しく観ている。

曙太郎は日本の相撲の歴史を大きく彩った横綱だ。

曙はヒールだったのだろうか。

少なくとも私たち親子3代が愛するヒーローだ。

日本の横綱曙、チャドに感謝を込めて記事に寄せる。


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