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気を緩める

段々日の入りも緩やかに
時間が遅くなってきています。

しかも、天気は晴れ上がり
こんな時はついつい気持ちが
緩んでしまいます。

あなたの気が緩む時はいつでしょうか?

私の場合
仕事が終わった時
noteを開いている時
Kindleで読書している時
などなど
いろいろな気を緩める方法を
ストックしています。

以前の私は
「気が緩むなんて!!」と
自分にダメ出しをしていました。

人にはその人の許容量があります。
無理をするのにも限界があります。

ほどよく、しかも気持ちよく
自分の生活のパフォーマンスを上げてゆくには
やはり「気を緩める」時間が必要です。
気を緩めたいことは
我々の無意識からのメッセージだとも
取れます。

ホモ・ルーデンスという言葉があります。
「人間とは遊ぶ存在だ」という意味です。
私は「遊ぶ」の反対を「囚われる」と訳したいと思います。
「目的論」を唱えた心理学者のアドラーも
「原因論」に囚われることに
異議を申し立てました。

社会的に我々は集団で生活しています。
そこには色々しがらみなどに
囚われます。

代表的なものに「承認欲求」があります。
アドラーは「他人の承認のために生きているわけではない」と言いました。

私とあなたでは考え方も行動の仕方も
違うのは当たり前です。
それでも周囲の人を気にして
自分に迎合してしまう。
そんな生き方を「人生の嘘」と言います。

だからアドラーは
「今」という「ここ」という場所で、「ダンスのするように生きること」をエネルゲイア的(現実活動態的)な生き方と言ったのです。

他人の視野を気にせずに
ダンスするように生きる。
なんだかワガママな生き方のように
感じます。しかし、
それが私には「遊ぶ人、ホモ・ルーデンス」を
思い起こさせてくれるのです。

話を戻せば
遊びのある生き方をするには
「気を緩める」時間が必ず必要です。
他人の「承認欲求」にがんじがらめで
「気を緩ませる」ことは難しいと思います。

アドラーも「目的論」(これからどうするか?)を唱えましたが
「どうするか?」を考えるには「気を緩ませること」が必要です。

noteを書いているときは
私は緊張しています。

そうしないと私の意図する考えは書けません。

しかし、書き終わりが見えると安心します。
「気が緩む」のです。

そうやって人は
「緊張」と「弛緩」の繰り返しの中で
生きているような気がします。

それもある意味上手な生き方の一つ
ではないでしょうか?

今回は「気を緩める」ことについて
述べてみました。
この記事もこのようなものかと
ゆるっとした感じで(気を緩めて)
読んで頂けると
嬉しいです。

それでは また
おわり

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