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何もなかった日

今日は、仕事を体調不良で
半日で帰宅いたしました。
嫌なことばかりが頭に浮かぶ
何もなかった日です。
(愚痴日記になりそうですが・・・)

ところで禅語に「無事是貴人」(”ぶじこれきにん”と読む)
という言葉があります。
「1日無事に過ごすこと自体が尊いこと」と
いう意味だったと思います。

パソコンの前に座っても
ノートに手書きで思いを箇条書きにしても
うんともすんとも
書く内容が出てきません。
(素人だから才能がないのかな)と
書くにあたって当たり前のことを
真剣に悩んだりもしてしまいました。

うまく行かない時は
いつも私は「被害者の椅子」に座っています。
そこから離れることができないのです。
まずはそこから降りるイメージをしましょう。

自分を責めるのはやめよう。
自分を許してあげよう。
(同じくらい嫌な相手も許すことができたら嬉しいのですが)
自分を褒めたりする、アファメーションを
何度も言ったり、手書きで書いたりします。

別に私はnoteを毎日更新する義務はありません。
ともかく必要とも別に思われていないはずです。
でも何か一つの記事を残したら良いと思っています。

美味しいものを
飲みながら、食べながら
いいことばかりを考えようともしました。
しかし、普通の人にいつもいい事ばかりが
思い浮かぶわけがありません。

しかし、何もなかった日も
大切な1日です。
物は考えよう、捉え方です。
1日きちんと過ごしました。
(めちゃくちゃポジティブ思考ですね)

人間というのは書けない日もあるのですね。
書くクリエーターの方々は
みんなこのような状況を乗り切ったのでしょうか?

私は、待つことも苦手です。
待っていようと思ってもパソコンを開いてしまうのです。

「待てば海路の日和あり」
待っていれば、いつか海の荒波も終わって船を出せる
日和もやってくるという意味です。
こんなふうに待っていれば
私も再び書ける時も戻ってくるのでしょうか?

私は「書く」ということは
イコール「自分を救う」と考えています。
今は書けなくて、書くことも思い浮かばずに
めちゃくちゃ辛いです。
しかし、こんなふうに思いを「言語化」するだけで自分を客観視できそうでこれも貴重な記録です。

あるとき
「現在、情報発信をしない人はいないのと同じだ」という文章を読んだことがあります。
私は人に話すことも苦手なので
この文章にはとても納得できます。
だから書くときは
「いつも自分はここにいるよ」と
心の中で叫んでいるのかもしれません。

だから今日もnoteに書きます。
いつか「こんな日もあるさ」と思える日が来るでしょう。
数えればもう1,000字も超えてきていて
少しホッとしました。
何が言いたいか全然わからない文章だけど
書いてよかったです。

ところでnoteの最大の目的はなんでしょうか?

それは、毎日創造することを続けることです。

こんな文章が誰かの役には立つとは
思いませんが
どうか共感してくれる方が
一人でもいてくれますように・・・。
今、少しでも書くことに絶望した人の励みになったらスキをしてください。

まとまりもない文章をここまでお付き合いしていただき
本当にありがとうございます。

また次の記事でお会いしましょう。

おわり


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