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知らなくていいこと

穏やかな日差しの日が続きます。
その分朝晩は寒さが身に染みてくる時期でもあります。

おはようございます。kohです。

今回は「知らなくてもいいこと」という
話です。

木から落ちるリンゴを見て「万有引力」を発見した
アイザック・ニュートンは言いました。
「私たちの知っていること(知識)は
浜辺で貝をとっている人のようだ」
ニュートンは「人間にはまだまだ知らないことがたくさんある」と言いたかったのでしょう。

毎日noteを更新していると
あれも知りたい、これも知りたい・・・。
知識欲に溺れます。

そういえば
「策士、策に溺れる」という諺もありました。
生じっか知識があるおかげで
小さいミスで大失敗をしてしまう例えですね。

果たして私たち人間は
未来のためにもっともっと知ることは
必要なのでしょうか?

これは極端な表現ですが・・・。
(不治の病の人などは医療の進歩は必要ですよね)

私のいっている知識というのは
アウトプット、表現できない知識です。
心理学でいう「言語化」は大切です。
でも、これ以上0から1への発見は本当に必要かどうかです。

中国古典、「老子」に「止足の戒め」(しそくのいましめ)
という教えがあります。
「止まるものは危を逃れ、足るを知るものは富む」
と続きます。
現代はここを試されてはいないでしょうか?

今、私たちが今必要なのは「知識」ではなく
「判断力」です。
これはAI(人工知能)にもできません。

”自分はどうしたいのか?”
”どうやったら苦難を避けることができるか?”
エトセトラ、エトセトラ・・・
人は帰路にたった時に「判断力」が試されます。

100%正しい判断は誰もできません。
私たちは人間です。ミスもあります。
ミスのない人はいません。私もミスだらけです😭
それでもトライ・アンド・エラー(試行錯誤)
しながら自分の目的に向かうのは
万人に共通するその人の「生きる意味」です。

最近の日のあたる日々のように
たまには、穏やかな日差しの中でぼーっと考えるのも良いでしょう。
立派な休息の時間だと思います。

そんな時間を過ごしていると
「知識」だけ集めている私は
一抹の寂しさを感じえません。

「知識」をつけてもそれを活用したり
実際に判断の材料にならなければ
「生きる意味」にはなり得ないからでしょう。

だから、焦りたくありません。
世の中には知らなくていいこともあることは
多分あるのでしょう。
要は「試行錯誤」をおろそかにしないこと。
それさえ気をつけていれば大丈夫だと思います。

年のせいか少々、説教くさくなってしまいました。

自分を「疎かにしない」
それが
「自分を大切にすること」につながるように
日々、自分に祈っています・・・。

今回はここまで。
また次のnoteでお会いしましょう。
自分で考えることも大事です。
読んでくださりありがとうございます。


ぼーっと公園にて

では、おわり

P.S osakanabunnkoさん素敵なイラストありがとうございます。


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