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認められること

今や「承認欲求」は
あまり良い意味では使われることが
少なくなったような気がします。

それは、「見返り」の代名詞のようで
受動的なものだからかもしれません。

だから、あなたが誰かから
認められたり
組織の中で「肩書き」を
いただけることは
逆のことなので
悪いことではないと思います。

資格に受かった。
面接に受かった。
スキがいっぱいもらえた。
(もらいたい・・・😅)
などなど、他者に客観的に
認められることは
人間誰でもやはり嬉しいものです。

認められる
肩書きがつく、
それは社会的に良い意味で
ポジティブな責任感が伴います。

これは、アドラーがいう
「他者貢献」に含んでも良いと
私は思います。

アニメ「鬼滅の刃」でも
鬼殺隊の卵のことを
受け継ぐ子という意味で
「継子(つぐこ)」と表現しています。
つまり、鬼殺隊の先輩の魂を受け継ぐ子という
立場になります。
「継子」たちは主人公竈門炭治郎たちの
ように柱を慕い、目標にして
自らの強さを高めていきます。

認められる、ということは
その資格や可能性があるということです。
何もしないで
棚からぼたもちのように
落ちてはこないのです。

では、「認められる」には
どのようにすれば良いのでしょう?
それには「結果」と言ったり
「過程」と言ったりいろんな要因がありますが
私が一番大切にしたいのは
その人の物事に対する「姿勢」です。
「生き様」です。
そう考えれば、上手くいかなくても
気持ちの落とし所を見つけられる気がするのです。

この世界は
「認め」「認められる」世界だと思います。
「承認欲求」ではなく
「お互い様」なのです。
甘っちょろい考えだと思いますが
私はそれで良いと思います。
変わり者で通っているリアルな人間ですが
地球上にこんな変な人が一人くらい生きていても別にいいじゃないか!と開き直っています。

逆にそれくらいじゃないと
今の世界は生き延びていけないでしょう?
それはnoteを書いている人なら
薄々は気づいていると思います。

最後に何故「noteの街」が明るいのか?
それは、みんなが認め合っているからです。
少しくらい嫌な内容のnoteでも
許容し合っているからです。
全てのインターネットの世界でも
リアルな世界でもそうありたいと
私は願います。

結局、みんなお互い様で
生きています。
「肩書き」は素晴らしいですが
それに執着するとおいおいろくなものには
なりません。

幸せな時にはありがとう。
苦しい時には力を下さい。
淋しい時には聞いてください。
いつも
地球のすべての人が幸福で
平和でありますように。

「生きる言葉 あなたへ」瀬戸内寂聴著、光文社(p182)

素敵な言葉に感じます…。

では また
おわり

shinobuwadaさん素敵なイラストありがとうございます。

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