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アンネ・フランク

今、私はアンネ・フランクの書いた
日記(アンネの日記)を読んでいます。
何故、この本に行き着いたか。
わけは詳細に書きたいのですが
字数を考慮して割愛します。

少しだけ紹介するとアンネの2年ちょっとの生涯の日記です。
「日記」と聞くとnoter書士にはピンとくるものがあると思います。
noteと日記。関連はみなさんの思っていることと変わらないと推測いたします。

いきなり感想に入るのをお許しを!
アンネは書いている時は自分の未来を知りません。
しかし、その文章(日記ですが)には目をみはるほど繊細な表現があります。

アンネ自身、親友はいないと書いています。
日記帳のキティが親友なのです。
あと日記帳は誰にも見せない前提で書いております。
どんどんnoteに感覚が近づきますね。

アンネの日記には怖いイメージがありますが
日記、自体にその心配は不要です。
ただ単に、日々の隠れ家の描写が
前向きに、客観的に、気持ちも添えて書いてあります。
なので、スラスラ読めて
こんな文章書きたい!なんて思ったりもします。

まだ、5分の1しか読んでいませんが、
中学生くらいだったアンネが
いろんな状況に飲み込まれて
(世の中だけでなく、隠れ家の人間関係とか)
少しずつ日記の世界が膨らんでいくのが
とても素敵な文章になっています。

繊細な内容だけに
みなさんに発表するのは躊躇したのですが
読んでいくうちにアンネのように
「日記」に自由に思いを膨らませ書く行為を
羨ましがっている自分に気づいたため
批判を覚悟でこの記事を書いています。

アンネは純粋にキティと名付けた
日記帳に親友のように語りかけます。
その姿勢がいちnoter である私に響きました。

歴史は残酷であり、故に常に不断の努力で
生活を守らなくてはいけません!

アンネは最後までキティ(日記帳)に
語ることを諦めませんでした。
これは「書く」行為をする人たちにとって
(素人であれ玄人でれ)
とてもお手本になる姿勢であると固く思います。

私はnoteに出会えて「書く」ことが大好きになりました。
(まだ始めて2ヶ月ですが)
しかし、生活や仕事その他余暇など、
そして「書く」ことにも
閉塞感、猜疑心を持っていました。
この本(日記)を読み始めて
全てが根底から見方が変わったような気がします。

話はすれますが、古典の威力
(アンネの日記が古典に入るかは人の価値観で変わりますが)
これがまさに読み継がれる文章だと思いました。
しかも本当の古典(「罪と罰」とか「こころ」とか)とは違い
「書く」という行為事態の気持ちが文章に込められています。

noteの「書く」参考にもこの本(日記)は
とてもためになると感じました。
(割愛とか言ってましたが理由の一つです。
言ってしまいました)

未来のことは誰にもわかりません。
しかし、日記に書くことを真摯に向き合った
アンネの文章はいきいきとした感覚を残しています。

私も未来のことは予想できないし
不安も消えないのはアンネと一緒かもしれません。
でも「書く」ことに意味を見出したこの少女を
素人ですが同じ「書く」ものとして
読んではい終わりにしたくなくて
この記事を書き残したいと思いました。

こんな文章が書ける日本は
他の国に比べたら「書ける」だけでも
幸せです。
とてもアンネの姿勢には近づけませんが
一人の日本のnoterとしてここに記事を残したいです。

この文章には
いろんな事情が混在しています。
お気に障った方もいらっしゃるかもしれません。
ただ「書く」行為の尊さを伝えたかったと
真意を少しでも感じていただいたら幸いです。
どうか寛容にお許しください。

では 次の記事でお会いできることを願い…

おわり

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