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私は新月でもあり、満月でもある

人は月のようだ。

月の裏側は知らないが、表面だけを見て
月だと判断するように。
人は、他者から見られる表面的な部分だけで
判断される。

月そのものの形は変わらないのに
その時によって見える面が違うように
人は置かれた環境下ごとに違う面を見せる。

ある場所では、満月のように。
ある場所では、新月のように。
ある場所では、三日月のように。

月の満ち欠けのように
私も満ち欠けを繰り返している。
でも、その満ち欠けは
他者から見られるものにすぎない。

月はどんな姿で私たちから見られようとも
堂々とその場所にいる。
月そのものの形は変わらないのだから。

私は、その満ち欠けが
自分の全てだと思っていないだろうか。
満ちているように見える部分も
欠けているように見える部分も
その環境下での私であって
私の全てを表している訳ではない。

自分という存在が
ただ、そこに存在し
様々な偶然が重なり合って
満ち欠けを作っている。

他者から見られる私が
どんな満ち欠けを描こうとも
私は月のように
堂々と生きていきたい。

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