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神聖かまってちゃん

ある程度のコミュニケーションをとれる。

これが自分の強みだと自負している。「ある程度」というのがポイントである。中学生の頃、クラス委員長をしていたこともありどんなに嫌なヤツ、怖いヤツ、頭のおかしいヤツでも仲の良い友達と同じように接することができた。そういうときはいわゆるウェイ系男子として振る舞っていた(ただし女子には通用しない、特に裏が怖いキャピキャピ系。キャピキャピ系がいくつかのグループに別れるのほんとやめて欲しい。んで謎の派閥争い勃発)。当時の担任との面談で「サメゴのクラスには問題児たくさん入れてやるからな、まとめてくれよ笑」と言われた。今思えばいろいろアウトな発言だった。ただ、担任と仲が良かったのもあるけどそうやって信頼されるのは嬉しかった。自分のおかげでクラスが平和に回っているとさえ思っていた。実際、いくつもの喧嘩の仲裁に入り、合唱コンクールではソプラノとアルトの大喧嘩によるクラス崩壊の危機を乗り越えさせた実績もある。たぶんそのおかげで内申点は良かった。女子の喧嘩はほんとに怖い。要はあれ、ほんとの陽キャは誰にでも優しいんだよ~~、って人になりたかった。

でも大変だった。本当はこんなキャラじゃない。家では一言も発さずにYouTubeとアニメをひたすら観るような人間だった(今もだけど)。本当は静かにしていたい。物心ついたときから何故か人前ではしゃぐようなタイプだったので、自然とそういう人になっていた。思いきってこのキャラをやめてやろうかと思うことはたくさんあった。でもふと考えるとそうしたら誰も自分に構ってくれなくなるのではないか。そう、自分はデカすぎる承認欲求を抱えている。承認欲求モンスター。このキャラは誰かに構ってもらうために演じているのだ。親だけじゃたりない。身内だけじやたりない。自分は自分と関わる人全てから構って欲しいと思っている。これがまさに神聖かまってちゃん。自分でもなんでこんな人間になったのだろう思う。この構ってほしいという欲求は全ての自分の心情、行動の軸となっている。良いヤツだと思われたい、面白いと思われたい、頭の良さそうなこと呟いてリツイートされてみたい(伝われ)―。逆に言えば、嫌われたくない、見放されたくない、使えないやつだと思われたくない―。自分よりも相手を優先してしまう。それはダメだと思う。自分を見失う自分が嫌になる。でもよく考えるとそうしているときのほうが落ち着く。構ってもらうのが自分の中での最高の喜びである。じゃあなんだ、自分優先で動いているだけじゃないか。結局、自分は自分が大好きなのである。それが良いことか悪いことは全く分からない。でもこの先、こんな感じで大丈夫なのかという不安はある。実際、高校生活ではめちゃくちゃに自分を曲げている。前の文章にも書いたとおりテストの点数が学年最下位だったので「俺バカだからさ~」という構文をよく使っている。そうするとみんなは笑ってくれる。「○○高校の最下位なんだから大丈夫よ~。もっと下いるって。」なんていう分かりやすい気遣いをされたときは胸が痛むけど。

でも限界は来ている。進学校のバカキャラにはあまり需要はない。バカは見放される。分かっている。自覚があるなら勉強しろって言いたいんだろ。今はnoteに文章書いてる意識高い系の自分に酔っているところだからそんなこと言わないでね。後からするよ。後から。ちょっと待って、お前に興味なんかねーよって言った?やめてよ、それが一番傷つく。はい、すみませんでした。本題に戻ります。俺バカだからさ~、この先どーゆうキャラでいけばいいのか分からないのよ。


救いようが無いですね。勉強してきます。




ごめんなさい、タイトルにしたのに神聖かまってちゃんのことは名前しか知りません。ごめんなさい。曲聞いてみましたが、イントロが怖いです。


では。


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