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子どもに教えられたこと。子どもってほんとに、十人十色だから比べる意味がないよなあ。

小さな子がいると自分のごはんが食べられない。

これって、100人に聞けばみんな「そうそう!」となると思っていた。

違うのかもしれない。

保育園で保護者会があって親子で給食の試食をした。子どもたちは普段のイスと食器とテーブルでごはんを食べる。保護者は、使い捨て容器に入った同じものをいただく。

同じ保育園には長男も通っていてこの保護者会はそのときもあった。まだまだコロナの前で、両親で参加できたので、夫と参加して、私は子どもに食べさせたり飽きても座らせ続けるのに必死でほとんど食べられた記憶がない。

外食するといつもそうだったから慣れていた。夫だけ自分のごはんに集中して、私は子どもの食事の世話と見守り。出来立ての食事を存分に済ませたパパが子どもをみてくれる一瞬でパパっと掻き込む程度。だから私は外食するのが憂鬱だった。

話は保育園の給食の試食に戻って、次男の今回、コロナ対策で親の参加は一名のみ。私が参加したが、長男のときとの違いに驚いた。

次男の場合。(1歳8ヶ月)
椅子に座り前を向いている
足は足置きにつけている
スプーンで自分で食べる
テーブルにこぼすのは小さな野菜程度
おいしいね、と合図をしたり、コミュニケーションをとっている
いろんなものをあれこれ食べている
食べさせてくれようとしつつ、自分で食べるなどのエンターテイナーもする
ほぼ完食する
ママのもおねだりする
ご馳走様の手を合わせるポーズまで座ってる
ごちそうさまをする

えっ、これ普通じゃない?
と思う方もいるかもしれない。
長男のときは、食事を座って自分で最後まで済ませることができるようになるまでもっと、それこそ年単位で更に長い時間がかかった。

今は長男は自分で食べられるし、次男も食事がスムーズなので私は外食ではあたたかいものがあたたかいうちに食べられることが増えた。

子どもの個人差ってすごい。
同じ遺伝子で、環境で、同じものを食べて育っているのに、どうしてこうも違うのか。

長男のときは、なかなか食べてくれなくて、口まで色々運んで、とても苦労した。
手を出すからダメなんだ、と義母に言われたこともあるがとにかく食べないから、ほっとくわけにいかなかった。
次男は知らぬ間に1人で食べていた。
何もしないのが良かった、と言われてもピンとこない。意図して何もしなかったのでなく、する必要がなかったからだ。

同じテーブルに他に3人の子がいたが、皆違った。もちろん月齢も違うというのもあるが、親子の食事風景が全く違う。

いつもと様子が違ったり、時間が違うので椅子に座ろうとしない子、足をあげたりひっちゃかめっちゃかにしそうになっていて親に細かく注意されスプーンを奪われてる子、あーんとやってもらってる子。

うちは、2人の人間が一緒にごはんを食べてる状態で、私はこぼれた野菜を拾ったり、私のものを分けたりする程度。

ずっと怒ったり宥めたりしている親もいる。
子育てが楽しくなくなったり自己嫌悪に陥ったら切ないなと思う。

心の底から思う。
もし、うまくいかないと自分を責めたり落ち込むパパママがいたならば、それはしつけの良し悪しじゃなく、子どもの個性なんじゃないかなと。

しつけ、というか、育て方の考え方は、同じ個性の子の先を決めることはありうるかもしれないけど、個性の違う子にあてはめてもあまり意味がないと思ってしまう。

もちろん、良い行いを自然とできるようにするのはよいこと。どんどんやって、できたら褒めるで良いと思う。しかしまあ、個性の力は想像を絶するほどにすさまじい。思い通りに進まなくても、自分を責める必要はないかなと思う。その分、思いもよらぬところでその子の良さが育っているかもしれない。

親がラクできるのがいい子、そうじゃない子は悪い子ってわけじゃない。無事に育てば御の字だ。

子どもの個性とは冷静になれるくらいの距離をとって付き合いつつ、つらいことはのらりくらりと親もマイペースで行こうと思った。

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