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「持たざる者」の強みってなんだろう?田舎出身ワーママの独り言。
先日、「王道」なキャリアワーママ以外の「王道じゃない」人のキャリアはオンリーワンがキーワードだという記事を書いた。
その続きで「王道の人は、なんだかんだで、太い実家とか、理解のある配偶者とか持ってる人が多いんじゃないか」という記事を書いた。
王道と「持ってる人」は結びつきやすい。
私はおそらく「持たざる者」なんじゃないかと思ってはみるものの、じゃあ、何もなかったかというとそうでもなく、もし実際持たざる者だとしてゆえに強みもあるのではないか?と思い始めた。
田舎者で、実家も太くなく、両親遠方で配偶者も一般的な日本人男性…
東京にいる共働き夫婦として決して有利ではないワーママである私が、強みに思うことを膨らませて書いてみたい。
知恵を絞り、逞しくなる
頼れる先が少ない状況では知恵を絞るしかない。シッターに家事代行、学童、保育園、お医者さんなどなど、子どもを理解してくれる人を探すプロのようになっていく。
病気の幼児を抱えての勤務も、仕事の選び方も、親を頼れない前提でどうにかする。必然的にたくましくなる。
共感できる
似たような境遇の人に対して共感できるのは自分も苦労したから、というのはあるあるである。
第一子の育休から復帰したとき、30人いた同じ組織の人の中で子育て中の正社員女性は3人しかいなかった。2人は実母からフルサポートを受けている年配の人、もう1人はワンオペ両親遠方の同世代の人。最も励まされたのは、両親遠方の人だった。
嬉しいことを喜んでくれる人より、辛いときに辛いねって寄り添ってくれる人のほうが恩が染みる。
恩とか横においても、痛みが分かる人になれたらと願って、自分が苦労することでそれが叶う。
田舎育ちだからこそ#1
東京育ちではない身として東京で子育てをするのはなかなかのハードモード。
カルチャーギャップもあるし、なにせわからないことが多くて、あたふたしてしまう。
では田舎育ちで良いことって何かあるのだろうか?
考えてみるとこんなものがある。
満天の星を見たことがある
山を見て四季の移ろいを知る
雪遊びをしたことがある
氷やつららで遊んだことがある
草花の匂いで季節を感じる
上流の川の色や岩の形を知っている
ザリガニやタニシ、サワガニを触った
冬にスキーとスケートが授業にあった
冬に学校にスケートリンクができる
学校で登山をする
山頂で見る朝日は最高
何にも邪魔されない夕焼け
一面に咲く雑草やたんぽぽ
シロツメクサの花冠を作れる
夏に野菜を収穫する
田植え後の田んぼの美しさ
これらが何になるのかと問われれば、何もならないかもしれない。
でも日々は美しい景色に彩られていると知っているし、美しいものはただそこにあるものとも知っている。
残念ながら都会では見られないものもたくさんある。
子どもたちにこれだけのことを教えてあげるのは大変だけど、いつか満天の星空を見せてあげたいなと思うとそれは私だからこそしてあげられることにも思える。
田舎育ちだからこそ#2
田舎だからかに関係ないかもしれないけど、私は比較的身体が丈夫だと思う。ずっと、風邪を引くことも少なかった。
小学校が遠いし丘の上で、毎日長い距離を歩いていた。保育園でさえ坂道を上ったり降りたり、バスも電車もない土地で30分歩く保育園児。身体も強くなるはずである。
夏の暑さと冬の寒さ、エアコンなどのない古い家屋。体温調節ができる体の出来上がりである。
おもちゃもゲームもなかったので幼少期はもっぱら外遊びやお絵描きや折り紙で遊んだ。
外遊びといってもおしゃれな遊具のある公園はないので、庭をかけまわったり縄跳びをしたり。体を使うことが多かった。
運動神経がなく球技の類はからっきしな私でさえ、動きまくっていたのである。
自分の子どもを見ているとか弱いなぁ、と思う。
住んでる土地の違いも、時代の流れもあるかもしれない。
なくて当たり前
親から受け継いだ資産?何それ美味しいの?そんな、なくて当たり前の人生。あることが当たり前ならないと不便だし不快に感じるかもしれないけどないならないで気にならない。あると当たり前だと、「ない人だってたくさんいる」という論も通用しないのかもしれない。
ありがたい、というのは、「ない」ことが前提なので、ないのは「ありがたみをより感じられる」ということかと思う。
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