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幼児教育。私立小には行かなかったけど小学校受験はやってよかった、役に立ったと言う話。
上の子が小学校に入って1ヶ月が経ち、ひたすら忍の字だ。健康上の理由で遠くの私立小から、最寄りの公立小へ転校し、健康状態も良くなって何とかやっている。
私立小から偶然にも縁をいただけたのは、ひとえに年長さん年度(年中11月からの1年間)で幼児教室へ通ったおかげである。もちろん、しっかり対策をするご家庭はもっと早くから通い始める。
結局、公立小に通うなら高いお金を払って幼児教室に行く意味がなかったのかというと、全くそんなことはない。
その辺を紐解けたらと思う。
幼児教室とはどんなところ?
我が子が通ったのは60年以上の歴史を持つ小学校受験のパイオニア、大手塾である。
名だたる難関校に毎年多く輩出しており、ノウハウがすごいし模試が充実している。校舎によって先生の評判はさまざまな様子。
我が家は難関を狙っていなくて、進学に備えて、先生のお話を座って聞く練習にでもなれば、ついでに絵や工作が少しでも上手になればと思って入れた。それは十二分過ぎるほどかなった。
もちろん通常の親御さんたちは入れたい私立小を想定して塾を選ぶので、うちは少数派だと思う。
何をしているかと言うと、プリントと工作が基本だ。プリントは、先生の指示を聞いて丸をつけたり、色を塗ったり、点と点を線で結ぶ物が多い。工作は、ハサミやのりを使う他、ねじる、ちぎる、まるめる、折る、穴に紐を通す、紐を結ぶと言った諸動作の習得を目指すとともに、創造力や構成力を養う。あとは、運動やつみきなどパズルもよく行われている。
全て、先生からの口頭の指示を耳で聞くことから始まる。聞いたことを理解し実施する、その繰り返し。内容は、受験に出がちなものを満遍なく網羅している。私の感覚だと、内容よりも、話を理解し行動する練習としての価値が高いと思った。
行きたい私立小がなくても幼児教室はためになる。ただ負担は大きい。
小学校受験で網羅する範囲は広い。
いわゆるペーパーは、常識問題(記憶しないと答えられない)、数(四則演算を普通に使うが、そうとはバレないような表現で問われている)、言語(言葉の構成に関する問題やしりとり)、推理思考(理科や算数の基礎となるような考えて答えを出す問題)、話を記憶して質問に答える問題、図形などなどがある。マニアックなものも多くある。
そのどれも、どんなに優秀な子でもさすがに何も対策したことがないまま解くのは難しいだろうと思う。
ペーパーのほかは、集団行動と呼ばれる指示を受けてお友達と何かをするものと、個人種目の運動などがある。
これらの内容一つ一つに、意味があるかと言われると、正直なところ首を傾げるものもある。
子どもに行かせたい私立小があればがんばってやるしかないが、そうでもないなら、教室の指導に合わせるのも大変かもしれない。例えば、我が子の通った教室では授業は週に一度90分ほどだが、土日含めて毎日30枚のプリント学習を推奨していた。
我が子はなぜかプリントが好きで、特に行きたい学校が定まらないときも授業と家庭学習は楽しそうにやっていた。おかしなもので、同じプリントでも過去に公文は嫌がってやめてしまった。内容が、幼児教室のそれのほうが多彩で刺激があったり、反復目的でなく飽きないのが性格に合ったようだ。
全てが役に立つとは限らないものの、数、言語、推理思考、図形などはやっておくとゆくゆく小学校の学習が楽になるのは間違いない。家庭での学習習慣も、小学校に入る前に身に着くと後が楽だ。
学習ドリルなど、優れた教材はあれこれある中で、教室に行くことが特別にメリットになるのは、周囲のお友達から得られる刺激と、熱心な先生からの影響、そして行動の型である気がする。
幼児教室で得られる行動の型とは
入口で挨拶をする。
挨拶をするときはおじぎをする。
まっすぐ立つ。
座る時は背筋を伸ばし足を揃え手は膝に置く。
話をしている人を見る。
人が話している時は喋らない。
手をあげるときはまっすぐあげる。
当てられてから話す。
大きな声で答える。
名前を呼ばれたら返事をする。
お返事は、はい。
自分の名前はハキハキと言う。
話す時は相手の目を見て話す。
お話をするときには、ですますで終える。
ハンカチは使ったら畳んでポケットに入れる。
自分の持ち物は机の上に揃えて置く。
鉛筆は自分で削る。
荷物は整理して入れる。
服は畳んでしまう。
助けてもらったらありがとうを言う。
これらは幼児教室に通う子がまずできるべき、いろはのようだ。別に自宅でもできると言ったらその通り。我が家は自宅のみでは身に付けさせるのが難しかったので、幼児教室でできてよかった。
長い時間をかけてやってきたことはそう簡単には忘れない。
息子はこうした行動が特に苦手だった。
今でもできているか怪しいものもあるけど、やはり一年かけただけのことはあり自然とできていることも多い。
例えば、ヤマハ音楽教室のグレード試験で、入室したときに「よろしくお願いします」と挨拶をして入った来たのは同じセンターの子どもたちの中では息子だけだったと後日先生から告げられた。
また別の例で、心電図を学校で取れなかった区内小学校の子が集まって取ってもらう時も、名前を呼ばれて返事をしてから列に並んだのは息子だけだった。
小学校に入る前にそんなことが出来なくても何も困ることはないけれど、本人にとってそうした小さな積み重ねが自信になり、いつか身を助けてくれると思う出来事だった。
忘れられない先生との出会い
学習も工作も運動も出来ないことが多い息子だったけど、教室が好きだったのは先生に恵まれたのが大きいと思う。
出来ないと嫌になってしまうことはよくある。
先生は、できなくても最後まで諦めずにがんばることが大事と繰り返し励ましてくれた。少しでもできると盛大にほめてくれた。
息子は、叱られながらも励まされ、結局出来ないままのことも多かったけれど最後まで諦めないということは学んだようだ。
これがどんなに大切なことか。
大きくなればわかるだろう。
自分より優れた人が多くいるの世の中で、人の役に立つためには、できなくてもがんばり続けないといけない。
いずれ自分が何か出来なくても、「がんばれ!」と励ましてくれる人などいなくなってしまう。好きなことでなくても、自分で自分を奮い立たせるという経験を少しでも積めてよかったと思っている。
息子も、怒った時は怖いけど先生が好きだと言っていた。先生は、息子にも親にも少し厳しめだがとても優しくて、息子を大きく成長させてくれた。そんな先生に出会えたこと、感謝してもしきれない。
面談のとき先生に「息子は教室で不出来なことも多いと思うんですけど、先生のことが大好きで、教室も大好きで、家でもプリントをがんばってます」という話をした時、先生が言葉を失って顔をくしゃくしゃにして喜んでいらしたことが忘れられない。先生は、進学実績に定評があるけれど、心の底から子どもたちが大好きで、子どもたちの成長に対して真剣なんだなと思った。
終わりに
行かなくなった私立小は、ありがたいことに、また行きたい時に試験なしで復学する手続きというのをできるようにしてくださった。
でも、行く行かないどちらでもよいと正直思う。
今の公立小でも優しい先生やお友達や先輩方がたくさんいて、毎日通うことができて、ありがたいと思っている。
勉強をもっとがんばりたければ塾に行けば良いし、目標が立てられそうなら中学受験をするのもよいと思う。
どこにいるかより今は何より元気に成長することが大切な我が家。
そして小学校受験の時を振り返ると、自然と自信とやる気が湧いてくる。子どもの持つ力を信じることができ、自分も親として成長できた気がしたからだ。スコアの伸びはいまいちでも、正答率や、子どもの真剣な眼差しや態度、どこにでも成長の足跡を感じることができた。
これから先、もっと難しい道が出てくるだろう。
その分また成長できる。これからもどうか、よい先生や教えに出会えますように。そして、いつも子どもを信じて支える自分になれますように。
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小学校受験期の夏から秋の思い出を記事にしました。
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