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雑談。人生に無駄なものはないというときなぜか思い出す漫画「漂流教室」の場面。

今日は雑談します。

田舎で育ち、初めて塾に通ったのは高校生になってからでした。

本屋のビルにある個人経営の塾で、塾と言っても自由に出入りする自習室にいつでも質問に応じてくれるおじいちゃんがいるだけの塾でした。OBの東大卒の英語の先生の特別授業が取っておきでした。

当時はまだ本屋の漫画は立ち読みが出来ました。

塾に行き、多くの時間立ち読みをしていました。

親も、塾で何してるかまでは知らなかったでしょう。塾の隣の神社で隣の高校の憧れの先輩とおしゃべりしたりもしていました。

漂流教室という漫画が流行っていて、読みました。辛くて最後までは読めませんでした。

途中に、お母さんが包丁を壁にねじり込むシーンがありました。とんでも無い形でその包丁が後々取り出されて使われます。

そのシーンを強烈に覚えています。

人生って伏線だらけだと思いませんか。

昔興味を持って調べたことがのちに役立つ、とか、子どもの頃ハマったことを子どもに教える、とか。逆に親にしてもらいたかったことを子どもにしてあげる、ということもあります。

今の自分は過去の自分や誰かからのお裾分けや仕送りやご褒美で成り立っているとも言えそうです。

また、何かを選び取ることで未来を引き寄せているとも思います。

お母さんが壁に仕込んだ包丁。

それに類するものが誰の人生にもある気がしてなりません。

独身時代に始めたくて買った将棋盤を今息子が使っていること。

小学生の頃に通った児童館の先生が手話ができる人で、私も手話をしてみたいと今思っていること。

幼い頃聴いたり歌ったりした曲を子どもと一緒に歌って感動すること。

などなど。

私の人生には、家族や友達、その他多くの方が恵んでくれたたくさんのものが仕込まれている。それに、誰かの温かい言葉で、私は生かされてきました。

同じように、一つ一つは些細なことでも、私の経験や好きなものが、誰かの何かの足しになることがあれば…と思う今日この頃です。

きっと、人生に無駄なものはないんです。
それがどこでどう生きるかは、自分ではわからないかもしれないし、生きているうちにもわからないかもしれないからです。 

ずっとこのnoteを出したかったけど、やっと出せます。

今、出したい気がしたのです。
それも、ただの雑談として。

こんなふうに、気まぐれに毎日noteを書いています。

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