2024年のはじまりに。世界の子どもたちへ想うこと。トットちゃんが教えてくれたこと。
また新しい年が明けた。
ありがたいことに、新しい年を迎えることができた。
当たり前のようでそうではない。
始まったばかりなのに変な話だけど、来年もまた新しい年を迎えることができますように。
長い間、世界で読まれている「窓際のトットちゃん」。著者の黒柳徹子さんはユニセフの親善大使として世界中の子どもたちに触れ合ってきた。世界が認める子どものスペシャリストということだ。
「窓際のトットちゃん」は映画化されたそうで、今一番観てみたい映画だ。
ちょうど上の子が小学生になり、支援級への通級の話が持ち上がり、発達検査を受け、通級の申請をして…と発達障害について考える機会が多かったので「窓際のトットちゃん」は胸にくるものがあった。
息子には幼い頃には「大好きだよ」と伝えてきたけどさすがに最近はこれは幼い子への物言いな気がしてきた。代わりに、「きみはいい子だよ」とよく言うようになった。あえて「本当は」を付けない。もし悪い子になったら叱るだけ。
「窓際のトットちゃん」には、人として子どもを認めるという当たり前でいて難しいことを実践した教師たちがいたことが書かれている。衝撃だった。
そういえば、NHKお母さんといっしょという国民的テレビ番組で興味深いシーンがあった。
コロナ禍前には、スタジオで大勢の子達がお兄さんお姉さんや着ぐるみのキャラクターと歌ったり踊ったりしていた。数人、奥の壁に張り付いたり座り込んだりして動かない子がいることがあった。そんなとき、お兄さんやお姉さんが、その子達を誘い込んで中心の輪へ連れ込む。
コロナ禍を経てスタジオから子どもが消えた。親と数ペアがマスク付きで参加する時期があり、最近、少人数で子どもが参加するようになった。見ると、壁の花になっている子が相変わらずいる。しかし、誰もその子達の手を取って中央の輪へ引き込もうとはしていない。
人と人の接触、近い距離で何かをすること、いろんなことがコロナ禍でよくないとされた影響が大きいと想う。ただ、それだけでないとも思う。
みんなの輪に入ることが正解だった時代が終わろうとしているかもしれない。
壁にもたれかかって、わいわい振り付けをこなすお友達を見ているのが楽しい子がいてもいいし、着ぐるみのキャラクターを背後から見たり、歌よりもテレビカメラやスタジオの風景に夢中になる子がいたっていいじゃないか、と前よりも多くの人が思っているかも知れない。
窓際のトットちゃんの続編、というか、トットちゃんの回想録や黒柳徹子さんの親善大使の仕事の記録をまとめた本を読んだ。「ちいさいときから考えてきたこと」という本。
これを読むと、国境と時代を越えて、少し個性的な子どもたちが社会という居場所の中でやりづらそうにして胸を痛める親たちの声が私にも聞こえてきそうだ。私もまた、そうした人のひとり。
もしかしたら、今日は、新しい未来に向かって世界は少しずつ変わっているのかも知れない。まだまだ、変わらないこともあるだろうけど。
年末年始に親戚のひとたちに接する折に上の子が癇癪を起こしたりすると「親の育て方が悪いから」というような言われ方をする。そんなときはその癇癪を「発達上の特性だから」と本人に帰属させて考えるより、「子どもは悪くない、悪いのは親」と考えたほうが、子どもには優しい気もする。それでいい。
著名な幼児指導の先生たちによって見違えるような振る舞いができた息子でも、小学生になって表面化した特性は大なり小なりあったから特性は特性だと痛感した。
(特性を変えられなくても、よい対処法はあるはずだから、それに関しては明るくなりたい!)
その代わりに、もし、親の育て方のせいだと決めつける言い方をする人の子どもや孫が発達の問題を当事者として抱えることになったら自分や身内を責めないといいなと思う。
何かのせい、誰かのせい、と突き詰めるのでなく、そういう個性があると考えられたらよいなと思う。
でももし、トットちゃんなら、親善大使の黒柳徹子さんなら、息子にどう語りかけるだろう?それはいつも興味がある。
「小さいときから考えてきたこと」には、多くの気づきがあった。
世界の、明日を迎えられるかもわからない子どもたちの話には胸が痛む。戦争が世界からなくなれば良いのにと思うし、戦争がない日本でも子どもを取り巻く悲劇がなくなれば良いのにと思う。
子どもたちが安心して生きていける世の中のために、自分ができることは少ない。けれど、少しはある。募金をしたり、新聞を読んだり、自分の子どもたちが興味を持てるものを探したり、子どものお友達にも温かい眼差しを向けたり、夫と喧嘩をしないようにしたり。
あとは、些細なことだけど、そして、今更だけど、自分がいろんなことに興味を持って生きることが子どものための良い未来につながるような気もしている。
トットちゃんが言うように、大人はかつて子どもだったのにそれを忘れてしまうものだから。
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