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自分の中の「余裕」

こんにちは。
小山千春です。

私は心から感動したときに体に反応がでます。
それは”鳥肌”です。

今までももしかしたら出ていたのかもしれませんが…
鳥肌が立つときなんて寒いときくらいだと思っていました。
最近、自分のことを観察するようになり、以前より自分のことがわかるようになってきました。

・・・

先日、次女が保育園最後の鼓笛を町のイベントで披露しました。
通常、運動会で一度披露したら終わりなのですが、今年は市役所のイベントへ参加して、今回で3回目でした。
さすがに
「もう見慣れたから感動まではないだろう…」
なんて思っていました。

・・・

ところが、
子供たちの真剣な眼差し。
良いところを見せたいという気持ち。
最後だから間違えないでやり切りたい。

産まれて6年しかたたないこの子達が
どれほどの思いでこれを完成させているのか。
どれほど練習してきたのか。

完成度の高いメロディー。
フォーメーション。

何度見ても引き込まれてしまいます。
何度見ても感動してしまいます。
目頭が熱くなり、ぶわーっと鳥肌が立っていました。

・・・

ただ、私はあることに気が付きました。


「長女のときはこんなに感動していただろうか・・・」


もちろん、長女の時は鼓笛を見るのが初めてでしたから感動はしました。
でもここまでの感情にはならなかったんです。
なぜだろう・・・って思い返してみたら


私に余裕が無かったんです。


周りの目を気にしすぎる私。
運動会でさえ周りを気にしすぎていました。

「私の服装、これじゃない方がよかったかな?」
「ダサいって思われてないかな?」
「娘は間違えないかな?大丈夫かな・・・」
「ママ友たちと交流した方が良いかな?」

服がダサかったら嫌われる?
娘が間違えたらダメ?
話したいママ友とだけ話したら?

私がいかに周りに嫌われたくない。
間違えてはいけない完璧主義だかがわかりますね。。笑
自分で自分のことを書いていて、嫌な母親だったなぁと思いつつ
でもこれが以前の私です。


今思えば考えてもしょうがないことを考えているから
気持ちが「今」にいない。
他の事まで考えているから感動が薄れるのは当然でした。
私は1人しかいない。
考えられること、感じられることもその瞬間1つです。


少しずつわかってきた今。
感動したときに鳥肌が立つことがわかったのは
確実に私に「余裕」が生まれたからですね。
こんなにも感動できるようになった私を私が喜んでいます。

その瞬間、目の前のことだけを感じることができる

当たり前のことのようで実際どれだけの人ができているのでしょう。


大げさかもしれませんが
「今を生きているな~私!」
って思えたんです。
こんなに心が豊かなことってないって思うんです。


どんなに忙しい日々でも「余裕」と「余白」を作ることを
忘れずに生きていきたいですね。


最後までお読みいただきありがとうございました。


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