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どうする団塊ジュニア世代 (その参)<歴史はリセットできるのか>

〜そもそも団塊世代とは③〜

「育ってきた環境が同じなら好き嫌いは偏るのか?」
についての私なりの考察です。

前回、「団塊世代」は「一つの塊」であることが、「団塊世代」と言われる所以という話をしました。


なぜ「一つの塊」になり得たのか?
ズバリ「育ってきた環境が同じだから」というのが私の見解です。
説明するには、「団塊世代」が生まれた1940年代まで遡る必要があります。

話は脱線しますが、私は『信長の野望』という歴史シミュレーションゲームの愛好家です。
人材を登用して育成し、その人材を用いて国土を開発し、街を発展させて自国を富ませる。そんな行程が大好きで、時間の経過を忘れる程、ついつい夢中になることもしばしばです。
しかしながら国作りが上手くいかない時もあります。
思うように国土が発展せず、他国の脅威にも脅かされ、しまいには手塩にかけて育てた家臣にも離反される始末です。
そんな時、私は禁断の手段を断行してしまう悪い癖があります。
それは「リセットボタン」です。
「リセットボタン」は、その名の通り何事も無かった事にしてくれる魔法のボタンです。
現実世界にも「リセットボタン」があればいいのですが、世の中そんなに甘くはありません。私たちは今ある手持ちのカードで戦うしか無いのです。

しかしながら日本の歴史上、実際に「リセットボタン」が押されるような出来事がごく稀に起きてしまいます。
その最たる出来事が「団塊世代」が生まれた1940年代に起きました。
1945年8月14日、日本政府はポツダム宣言受諾を連合国に通告し、無条件降伏しました。翌日の8月15日には、全国民へ玉音放送により太平洋戦争終結の決定を伝えられ日本は戦争に敗れました。
「リセットボタン」が押された瞬間です。
遡ると近代では1868年の明治維新や1923年の関東大震災あたりも、「リセットボタン」が押された瞬間であると考えられます。

しかしながら明治維新は封建社会から資本主義社会へ移行した大きな契機ではありましたが、内戦による政権交代であり、首都である江戸も無血開城となったことから名称を東京に変更するに留まりました。
言い換えれば近しいビジョンを持った武士階級同士の次世代に向けてのマウント取りが明治維新であり、結果として徳川家がトップに存続していても資本主義社会への移行は進んだと考えられます。
また首都機能や幕府の有能な人材も継続登用されていることを考えると「リセット」というより「リサイクル」という表現が適切であると考えます。

明治維新では無血開城により焦土化を免れた帝都東京でしたが、1923年に約16万8,900棟を全半壊・焼失させ市街を灰塵に帰する災害が発生しました。
関東大震災です。
災害を受け特設された帝都復興省の総裁となった後藤新平は、「今次の震災は帝都を焦土と化し、その惨害は言うに忍びないものがあるとはいえ、理想的帝都建設のために真に絶好の機会である」と述べ「復旧ではなく復興」を唱えました。
都市機能というハード部分が「リセット」された瞬間です。

「団塊世代」が生まれた1940年代の敗戦による「リセット」は、明治維新と関東大震災を掛け合わせたようなパラダイムシフトであることは間違い無いのですが、それだけでは何かが足りないような気かします。
戦後日本の変革は、今までとは何かが違う。
それは「リセット」というより「リボーン」に近いという感覚です。

敗戦後の人口ボーナスにより「団塊世代」が誕生しました。
その意味では戦後日本と「団塊世代」のライフサイクルは重なります。
「団塊の世代」は文化的な面や思想的な部分で共通しているという特徴があることから、先ほどの「何かが物足りない」と感じた欠如感は、「文化」や「思想」というパーツで埋められるのでしょうか?
それは「育った環境が同じだから」という結論の根拠となるのか?
この戦争を知らない世代のファーストチルドレンは、どのように文化的、思想的に団塊化していくのか?育った環境とはどのような環境なのか?
次回はそんな事を考えてみたいと思います。
<続く>


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