照魔機関 第6話 天井下り事象 引継ぎ
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天井下《てんじょうくだり》(天井下り・天井下がり)——天井から落ちてくる怪異。
初動捜査
(四辻と逢が支部に派遣される前日)
10月13日 午前2時34分 みとし村にて 異常現象発生。
被害者は錯乱状態で通報。
約15分後、警察官2名が到着した。
それを見た警察官達は、困惑した顔を被害者に向けた。
しかし、説明を求めても被害者の大野茂は部屋の隅で震えながら、天井からぶら下がったものを指差すばかりだった。
——ゆらっ ゆらっ ゆらっ
天井からぶら下がっていたのは、痩せこけた老婆だった。焦点の合わない虚ろな目を見開き、両手を投げ出して、頭から膝までを天井から生やすようにして左右に揺れていた。血の気の無い青白い肌や、状況への反応がないことから、彼女が既に死んでいることは明白だった。
「なんでこうなったかわかんないっ。わかんないんですけど、佐藤さんのところのお婆さんですよね? 一か月くらい前から、行方不明だった……」
ようやく口を開いた大野は、警察官に縋り付くような勢いで必死に訴えた。
「おっ俺、引っ越しの挨拶をした時に会ったきりで……そんなに面識ないんです。でも、『よそ者は出てけ』って怒鳴られて……。でも、それだけで、その……化けて出るほど恨まれますか?」
「化けて出るって……そんな馬鹿な」
警察官の中島は、天井から逆さまに生えた老婆を困惑した顔で観察した。
(よくわからんが、このままにしとく訳にもいかんだろ)
中島が近づいた途端——ドサッと、老婆が天井から降ってきた。頭が床にぶつかり、首がおかしな方へ曲がっている。
もう一人の警察官、田原が「ひっ」と短く悲鳴を上げて尻餅をついた。
遺体を一瞥すると、中島はおそるおそる天井に目をやった。
もしかすると穴でも開いているのかと思ったが、そこにはただ何の変哲もない天井があるだけだった。
「中島さん、これって……」
か細い声で中島を呼ぶ田原は真っ青だった。目の前のできごとが現実だと、受け入れるのが恐ろしかった。
中島は思わず溜息を漏らした。天井から遺体がぶら下がって落ちる原因なんて、とても思い当たらない。しかし、目撃したからには現実を受け入れ、報告する義務がある。
「事象だな……。ちょっとここ見張ってろ、連絡入れてくる」
「ちょっ どこ行くんですか!」
「今のうちに目ぇ慣らしとけ。これで終わりじゃなさそうだからな……。俺も詳しくは知らんが、照魔機関案件ってのはそういうもんらしい。その遺体、動き出さないか見張ってろよ」
事象が発生した当日のうちに、照魔機関K支部の捜査官2名——太田、加藤が到着。
天井から遺体がぶら下がる様子から、問題の現象を【天井下り事象】と命名。原因について、村の神の祟りも視野に入れ、捜査を開始。
[加藤捜査官の捜査ファイル 10月13日]
・この村の人間達はよそ者を毛嫌いしている。理由は、村の神がよそ者を嫌うからだそうだ。村に何回も出入りしている太田先輩はともかく、俺は心が折れそう。向けられる視線は冷たいし、話も碌に聞いてもらえない……。
・村に入る前にお祓いは済ませた。それなのに、どうして視線を感じるんだ? 村の神は俺達を見張っているのか?
・村の神、【おみとしさま】の一部として祀られている自然石(神の目)は、機関の記録にあるように、辻と村の境界に置かれている。動かされた形跡はない。外から怪異が侵入した可能性は低そう。
・太田先輩が言うには、神の目は葬式がある度に増やされるそうだ。
・大野一家について、彼らの背景を機関に調査依頼した。
10月14日
最初に事象が確認された大野家の隣家で、男性の遺体が天井からぶら下がり、落ちた。
この日のうちに、3件の民家で同様の事象が確認される。いずれもひと月前に行方不明になった村人達だった。
[加藤捜査官の捜査ファイル 10月14日]
・4人の遺体は前日同様に、早急に当機関で検死を進めてもらう。先輩は全員死因が違うかもって言っていた。俺もそう思う。
・怪異は、天井をすり抜ける力を持っているようだ。事象を目撃した警察官は気の毒なくらい怯えていた。俺のじゃ気休めにしかならないだろうけど、護身用に札を渡しておいた。
・池柁一家についても当機関に調査依頼した。【囲】が廃止されて何十年も経つはずなのに、どうして嫌な事件が続くんだろう……。
・クワバラの二人に会った。オーラヤバイ! 日暮捜査官は術が使えないらしけど、一緒に検死を担当した同期がグループチャットで絶賛してるのを見た。神無捜査官は、たぶん一瞬で俺が内ポケットに隠していたボイスレコーダーを見破った……観察力エグ! 二人とも俺と歳近そうなのに、この差は何だろうな。やっぱりクワバラの二人が歳を取らないって噂は本当なのか……?
・明日からは事象が起った家を捜査する。まずは大野家から。
・長期任務になりそうな予感……。でも、終わったら太田先輩の奢りで焼き肉。ボイスレコーダーで言質は取った!
10月15日
支部の捜査官2名の内、1名(加藤)が天井からの落下物にぶつかり、救急搬送される。もう1名(太田)が消息を絶つ。
支部長の柳田が本部に報告し、当日の内に怪異の危険度分類の見直しが行われた。現場はみとし村という特殊な環境であり、支部の捜査官一名が死亡したことから、委員会は【天井下り事象】の危険度を引き上げ、加藤捜査官を任務から外した。
10月16日
6度目の事象が大野家で発生(15日の落下物を数に入れれば7度目)。15日に行方不明になった太田捜査官が遺体となって発見された。
議論を白熱させていた委員会だったが、未特定怪異特別対策課(通称クワバラ)に捜査権を与え、みとし村へ派遣させる事が決まった。最悪に備え、すぐにでも計画を実行に移せるよう準備が進められる。
負傷した加藤捜査官が意識を取り戻し、支部に応援要請。その際支部長は太田捜査官の死亡と、危険度が引き上げられ、捜査権がクワバラに移った事を伝えた。
10月16日 鏡からの連絡
「四辻、逢、大変なことになってしまったね……。二人の為に何かできたらと思ったんだけど、祭神様は、あれから神託を授けてくださらないんだ……。
大昔は祭神様のお力で怪異の正体を暴くこともできたと聞くけど、明治以降は徐々にお力も弱まってしまって、今はそのお体に怪異の正体を写す事も叶わない。
でもね、祭神様——照魔鏡様——は、今も闇の中を彷徨う私達を導いてくれるんだよ。
祭神様は、闇の中に隠された魔という災厄を照らし出し、私達が導き出した怪異の正体が正しい物であるかどうかを教えてくれるんだ。
四辻、逢、どうか二人に——照魔鏡様のご加護があらんことを」
そう言った彼の口から苦笑が漏れた。
「四辻の封印を解かないのも祭神様なのにね。でも、きっと今回も怪異の正体を暴けば、封印を解いてくださるはずだから。……危険な目に遭わせてしまうのは嫌だけど、四辻と逢にしか頼めないんだ。……気をつけて、無事に帰ってきてね」
日暮逢の捜査ノート
10月16日 捜査開始
目的
みとし村で発生中の、天井下り事象の原因を特定し、対処する。
加藤捜査官について
ようやく面会の許可が下りたけど、加藤捜査官はまた気を失ってしまっていた。
でも、サイドテーブルには彼のメモと一緒に、ボイスレコーダーが置かれていた。彼は常に内ポケットに隠したボイスレコーダーで、太田捜査官と被害者、村人の会話を録音していたようだ。
メモには「必ず原因を突き止めて、先輩の仇を討ってください」と書かれていた。捜査に関われない彼は無念だろう。胸が苦しくなる……。
加藤捜査官のボイスレコーダーから分かった事
・大野一家は村人から嫌われていた。祟りの原因とも噂されている。理由は、村人が、おみとしさまは村の外から来るものを嫌うと信じているため。
・『おみとしさまが村人を祟るもんか! 池柁■■■←(雑音が酷くてうまく聞き取れない)の呪いに決まってる! お前達の所為だ!』
一部の村人が、特定の村人達に暴言を吐いていた。
・不可解な事に、加藤捜査官のタブレットは、どこにも見当たらなかった。太田捜査官の所持品もいくつか消えているらしい。
四辻さんは、タブレットは持ち去られたと予想。二人が襲われたことといい、事象の原因に関わる何かは、捜査官を敵と認識しているようだ。人間と同じくらいか、それ以上の知性を持っている可能性がある。
以下は、太田捜査官が、被害者の大野春子さん(茂さんの妻)に事情聴取を行った際の音声記録。必要になりそうな部分のみ文字起こしした。
「」は太田捜査官。
何も知りません。放っておいてください!
(太田捜査官の説得:現時点で事象が目撃者にどの程度の影響を与えるか不明であり、放置すると危険が及ぶ可能性があることを伝え、事象の早期解決の為に、目撃者の協力が必要であることを説明。納得していただけた様子。)
あの……。やっぱりあれは、人間(の仕業)じゃないんですね?
忘れられそうにないです……あれのこと……あああ。
ああああ! だから、私はあんな辺鄙な所に引っ越すのは反対だったのに! うちの旦那はいつも私の意見を無視するんです!『自然の中で子育てしたい』って、旦那の言い分は分からないでもないですよ。でも、私はあの家が好きではなかったんです!
「『好きではない』というのは? あの家にいると気分が悪くなるとか、小さな異変に気付いたとか——」
だって、あの家であんな事があったなんて、私達知らなかったんです! 旦那はあの人に家を押し付けられたんです!
そうじゃなくても、場所が不便で……。人間関係も疲れるからいやなんです!
……まぁ、最初のうちはよかったですよ。
景色も水も空気も綺麗だし。子供達は広い庭で遊べたし、良いところに来たって思いました。
でも、はじめの内だけです。
だんだん、耐えられなくなりました……。
家の近くにスーパーやコンビニが無いのが、こんなに辛い事かと思いました。
私は免許証を持ってないので、買い物は極力、旦那がいる休日にすませていました。でも、どうしてもっていうときは、バスで麓の町までいかないといけませんでした……。利用者が少ないせいか、本数が少なくて……本当に不便でした。
近所の人達も……。『何か困ってないか。変わった事はないか?』って聞いてくれて、最初はいい人達だなって思ったんです。色々相談させてもらったりもしました。
でも、頻繁に訪ねて来られて……。面倒になったから、居留守を使ったことがあったんです。そしたら、その人は庭に回って、窓から家の中を覗いたんです……。監視されているような気分になりました。
……あの村、何かおかしいんです。
ある時何かの拍子に、隣の家のおばさんに、私の趣味がネイルアートだって話したら、その日の夕方には村中の人に知れ渡っていたんです。
会ったことがない人にまで、『本当に綺麗な爪ね。でも、それで畑仕事できる?』とか『見ておばさんのこの手、土いじりして真っ黒。あなたの手が綺麗で羨ましいわ』って、嫌味っぽいことを言われて……。
それで分かったんです。あの人達、私達家族を心配してくれていたんじゃなくて、笑う為に来ていたんだって。今まで相談した内容……子供のこととかも、全部、村中に広められていました。中には、身に覚えのない悪質な作り話まであって……。
気にしないように、無視しようとはしたんです。でも、子供や旦那が、私を変な目で見るようになりました。どうしたの? って聞いたんです。そしたら、近所の人にその悪質な作り話を吹き込まれていました……。
誤解を解くのにも時間がかかりました。私、あまり人付き合いが好きじゃないのに……。そんなことが続いたせいで……ストレスで体調が崩れました……。
そこでさらに、心配事が増えて……。
「心配事?」
うちの子、きっと異変に気付いていたんです。
「お子さんが、ですか?」
はい。うちの子は男の子の三兄弟なんですが、最近になって一番下の子が、子供部屋の天井を見上げて笑っていたんです。機嫌よくしているのはありがたいんですが……。
気になって、聞いてみたんです。でも天井を指差すだけで、何を見て笑っていたのかまでは教えてくれませんでした。……まだ上手く話せないし、静かな子なので……。
旦那は、『天井の木目が動物みたいに見えるからじゃないか』って言ってました。言われてみると、確かに猫か犬のように見えたんですよ。それですっかり安心して、子供って、よく分からない笑いのツボがあるねって、旦那と笑いました。
でも、その夜……長男と次男の叫び声で目が覚めました。
ふと天井の事が頭をよぎりました。二人が寝ていた場所は、子供部屋だったからです。
真っ先に旦那が飛び起きて、子供部屋に走って行きました。私はぐずり始めた下の子を抱いて、寝室や廊下の電気を付けながら子供部屋に向かいました。
真っ先に目に飛び込んできたのは、子供部屋の入り口で立ち尽くす旦那の背中でした。次に、オレンジ色の薄暗い照明の中、布団の上で気絶している子供達が見えました。そして……天井からぶら下がった、大きな影をみました……。
私は咄嗟に部屋の灯りを付けました。今思えば、どうして灯りなんか付けちゃったんだろうって、後悔してます……。
きっと、明かりを付けながら歩いてきた私と違って、暗さに目が慣れていた旦那には見えていたんでしょう——天井から逆さまにぶら下がった、白髪のお婆さんが。
…………。
朝になって、あれが村に住んでいた人の死体だって聞きました。何で天井から降ってきたんですか?
「原因は現在捜査中です」
……何で? 何でよ! 気持ち悪い! 私達家族が何したっていうのよ!
「心中お察しします。……ところで、天井からぶら下がったお婆さんは、天井から畳に落ちたと伺いました。落ちた瞬間は見ましたか?」
見てません! 子供達と寝室にいました。みんな怯えて泣いてたんですよ!
「お婆さんがぶら下がっていた場所に、穴は開いていましたか?」
分かりません。あれからはあの部屋に入ってません。
「他に気になることや、気付いたことはありますか?」
しつこいわね。じゃあ、死体がどんな見た目だったか、教えてあげましょうか?
皺だらけの青白い顔に、紫の唇。開かれた目は瞬き一つしない。やせ細った両腕は、だらんと床の方へ投げ出されて、風も無いのにゆらゆら揺れていたんです。
「……揺れていた?」
あの光景が……どうしても頭から離れないんです。
…………。
もういいですか? できるだけ早く忘れたいんです。
あんな恐ろしい事なんて……。
「ご協力ありがとうございました」
捜査資料について
情報部がフィルターの解除を渋っている為、あたしが捜査資料を閲覧するのは避けるべきだと四辻さんに止められた……。代りに四辻さんが、あたしが知っても大丈夫そうなことを要約してくれた。
・みとし村に外から怪異が侵入した可能性は低いとされている。
・遺体の検死、最初に事象を目撃した大野一家と、特定の人物の背景についての捜査が当機関で進められている。
・太田捜査官達は、悪霊になったトミコさんを疑っていたみたい。やっぱりトミコさんの呪いが、この事件を引き起こしたのかな? でも、彼女はどうやっておみとしさまの目を掻い潜ったんだろう? 四辻さん、何かあたしに伝え忘れてない……?