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海外不慣れの女がインドに行くまで。

#わたしのチャレンジ

インドに興味を持ったのは8年前。私が大好きなその人は、インドに行って人生観が変わったと言っていた。世界一周の船旅(ピースボート)に行った人だ。私はその人と、一緒にある民宿で働いたときに出会った。その時の私は、自分が海外に一人で行く日がくるとは夢にも思っていなかった。


私の性格

  • 団体行動が苦手。

  • 人となじめない。

  • おしゃべりが下手。

  • 気を遣いすぎて自滅。

  • 自称HSS型HSP。

  • 好奇心旺盛だが会話が苦手。

  • 極度の飽き性。

  • 八方美人。

こんな自分に嫌気がさしていて、自分を変えたかった。けれど勇気がなかった。何事もすぐにやめてしまう性格だから。憧れるような人になろうと装おっても、その人格が長続きすることはなかった。ただ、その人は私に言った。「あなたは愛の深い人」だって。そんなことを言われたのは初めてだった。しかも心から言ってくれているように私は感じたんだ。そこから私はその人の話、過去などを聞いた。内心、自分が嫌われたらイヤだと思い、自分を出すことがあまりできなかった。本当の私をその人は知ってくれているのかもわからなかった。それでもその人の言葉は、ガチガチに固まった私を溶かしてくれるようだった。そこで聞いたのがインドに行ったときの話。

その人から聞いたインドの話は最悪なのに、愛に溢れるものだった。

(インドに行く8年前の話)

インドの街には、牛のふんや物乞い、そして平気で嘘をつく人たちで溢れている。その人はインドに行った時、お腹を壊し、挙句の果てお金をほぼ全部盗まれたと話した。私はそんな国でよく生きて帰ってこられたなと思った。インドのことについてあまり知らなかった私は、でもまさかみんながみんなそうなるわけではあるまいしと思っていた。話をたんまり聞いた後にググってみたら、なんとインドの凄まじい状況が書かれているではないか。ただ、それと同時に書かれているのが、最悪で最高。人生変わった。という言葉だった。私はすぐにそれを体験したいと思った。しかし私はその時、ひとりで飛行機にの乗ったこともなければ、英語も話せない。ビザって何?というほどだった。

なかなか行動に移せない臆病な私。

(インドに行く3~7年前の話)

いつも自分が心からやりたいと思うことよりちょっとズレたこと、いわば簡単な方を選んでしまう。それでも今思えば着実にインドに行く準備をしていたと思う。私は一人で飛行機に乗った。初めての一人飛行機は沖縄行だった。その後、一人でオーストラリアにワーキングホリデーに行った。これらはすべてその人から聞いたものだった。その人は、沖縄が大好き。そして、その人もオーストラリアにワーキングホリデーにこれから行くと話していた。私は少しでもその人に近づきたかった。だから行動した。しかし、オーストラリアでは1年間いようと思っていたが孤独感と英語が全く話せないこと、そしてもう帰りたいと思う気持ちがあって、半年で帰国することとなってしまった。周りの日本人は、セカンドビザを取ってもう1年いたいと言う人や永住権を取りたいという人ばかりだった。なぜみんなそんなに人生を楽しめるのだろうか。私は不思議だった。私には覚悟がないんだ。強い思いや力がないんだ。そう思っていた。もちろん、インドなんて行けっこしない。そう何年も思い、結局東京の時給の低いところで働く人生になったんだ。

飽きっぽい性格が好転に向く。

(インドに行く2,3年前の話)

けれどその人生にまた飽きが来た。なにか新しいことがしたい。今思えば、一人でオーストラリアに行ったこと自体、そしてその土地で仕事をしたこと自体すごい。東京にいると、海外に言った経験のある人は少なくすごいねとよく言われた。勇気があるね。行動力があるね。そんな言葉をよくもらった。次第に私に勇気が湧いてきた。そして、何故だかまずは東京を離れようと思い立ち、次の仕事を決めない間に東京の仕事を辞めた。私は羽を大きくのびのびと広げている気分になった。バカだろう。でも、なんでもできる。そんな気がした。けれど、それも長くは続かない。なにから始めたらいいのかわからなくなったからだ。やっぱりバカだった。そこで思いついたのが、その人が言っていた住み込みのバイトだった。とりあえずこれで生きていこうと思った。その後は、そのバイトもうまくいかなく、実家に帰ったりの踏んだり蹴ったりの人生が続いたが、知らぬ間に行動することに自信を持ててきた。

すごいと言われ自信がつく。

(インドに行く年の話)

その人と出会ってから視野が広くなったが、目の前の生活にいっぱいいっぱいで自分がなにをしたいのかわからなくなっていた。そのときは、地方で住み込みのバイトをしていた。そこは70歳前後の人が多い職場。40代50代は数名。また居心地が悪くなるのかなと思ったが、そこは私みたいな地方や外国に一人で行っている人はいなく、私の過去の経験聞いてすごいねすごいねと言いながら楽しんで、たまに驚きながら私の話を聞いていた。その時思った。まるで私がその人になったような気分だった。私の話を聞いているみんながまるで過去の私のようだった。そうだ、私はその人に少なからず近づいていたんだ。そして、いつも頭の片隅にあったインドの話が頭のど真ん中にやってきた。あ、そうだ。私まだインドに行っていない。でも、インドは一人旅をするなら確実にレベルの高いところ。

インド情報を調べて動けなくなる。

インドについて調べれば調べるほど、私の足はすくんでいった。だって、怖いことばかり書かれているから。寝込んで一週間動けなかった。詐欺にあった。変なところに連れていかれた。かなり部屋が汚なかった。シャワーのお湯が出なくずっと水で過ごした。ビザの申請がかなり面倒くさい。挙句の果て、命を落とした人の話まで出てきた。そして、ツイッターで世界一周している人の投稿をみると、難易度が高い国ダントツ一位にインドが輝いていた。私がそんな国に行けるのか?オーストラリアにいったものの、たいして英語も話せやしない。ビザをちゃんととれるかも不安。飛行機だって、ちゃんと手配できるのだろうか。お金の管理はちゃんとできるのだろうか。頭の中はそんなことで私と私の会話が永遠と続いた。ほんと、私って、何がしたいのかもうわからない。どうせできない。自己否定に陥っていた。そこでふと目にしたYouTube。ありきたりな言葉を言っていたが、私の足がやっと動く糧になった。それは、

もし明日この世からいなくなるなら、何をする?

その時思ったんだ。あ、私インドに行ってないって。

どうせやりたいこともない。いいなぁと思う人生の見本はあるけれど、自分が叶えられる自信がない。それならもうここにいる意味がない。なら、いって永遠のさよならをしたっていいじゃないか。これがやっと足が動く第一歩となった。ただ、ビビりな私はそれでも動かなかったんだ。だって、怖いものは怖いから。私の本能は、まだ生きたいと言っている。困ったもんだ。そこでだれに相談をすることもなく、私は見えない存在たちに聞いたんだ。もともとスピリチュアルなことが好きで、嘘くさと思いながらも首を突っ込んでいた。宇宙も好きだから、なにかこの偉大なる果てしない力を無意識に感じていたんだ。そこでまず行ったのが神社。神社には何度の言っているが、インドに行く少し前に行った神社はここで記載している。こうやって生きていると何も真実がわからない。その中で感じるのが”守られている”ということだ。見えない存在たちに間違いなく守られている。だって、私は踏んだり蹴ったりしながらも今まで無事に生きてきた。亡くなった祖父や叔母さんのことを思うとどこか見守ってくれている気がした。

一人旅は一人じゃない。

一人で何をするにも、一人でどこか行くのも、本当はひとりじゃない。だんだんとそんな気がしてきたのは、誰かといても心落ち着かなかったり、不安や孤独を感じるからだ。一人でいる方が自分でいられる気がした。この感じ、あなたにはわかるだろうか。私のようにちょっと変な人でないと分からないかもしれない。この感情に同感したあなたは、悪いけど私と似た変な人だ。私は神社やお寺が好きでよく行く。私の本当のお友達は神様と仏様しかいない気がする。暗いって?ははは。でも、本当に、ばったり知り合いと出会った瞬間や、ふとした瞬間にできたこと。なにか、見えない大きな存在がまるで私たちをつまんで操作しているかのように感じないか?私はありがたかった。少しでも希望を持つと、宇宙の何かが見方してくれる。だから、だんだんと不安も消えていった。今は完全に消えたわけではないけれど、”思い”の力は凄い。少しでも明るい思いを発しようとしている。

最後の決め手は意外なもの。

だいぶ決心が着いてきた。「じで私はインドに行くのか?なんとなく始めたハロートークというアプリでインド人と交流するも、一人は辞めたほうがいいと皆が言う。ましては女。危ないの一点張り。それでもむずむずムズムズしていた。やっぱり行きたいんだ。私はインドに行きたいんだ。あぁ、自分のもどかしさに腹が立つ。そう思っていた時、なんとなく母親に電話をしてみた。元気?元気だよ?そんなありきたりな会話の中、次の仕事が決まっていないんだよね~ あぁ、インドでも行きたいな~ こんな愚痴っぽいことをもらしていたら、母は言った。「あなたはずいぶん前からインドに行きたいと言っているよね。」私は驚いた。そうだった。この飽きっぽい私が心変わらず思っていたことはインドに行きたいということだったんだ。無意識に母親にまでインドのことを話していたんだ。その時私は、そっか~じゃインドでも行ってこようかな~ 若干、ふてくされたように言ったが、そこで母が言った。「楽しそうじゃな~い」えっ?楽しい?インド旅行を一人ですると伝えて楽しそうと言う親がどこにいるんだと思った。母はインドのことなんてなにも知らないんだ。でも、そっか。楽しいんだ。その人も前に言っていた。最悪で最高。そして人生観が変わったと。ここで決心が着いた。私は母との電話の後、自転車でスーパーに向かった。自転車をこぎながら、美しい夕日と海を眺めて誓った。「私は最善最高のインド旅をする!」と。

私のチャレンジは始まった。

実は、パスポートの期限が間近で更新が必要だった。その後、飛行機を宿泊先を予約してからビザを取らないといけない。私は内心めんどくさいの一心だった。私はなにせちゃんとした仕事をしていないから、なるべく格安で準備し旅をしなければならない。どうにか安くという私の心に火が付きたくさん調べた。そこでパスポート写真はアプリで自分で撮りコンビニで印刷。ビザの写真は近くの証明写真でインド用に取り、後は自分で申請した。飛行機もぎりぎりまで安くて行きやすいチケットを取った。もうここまで来れば、あとは行くしかない。計画が苦手な私。しかし行きたい場所は山ほどあった。インドは日本の9倍の面積がある。北から南まで好奇心を誘う街が山ほどあった。悩んだ結果、どこに行くとかいうのは関係ない。ただ、インドの地に無事に降り立つこと。それだけが私の目標になった。行先はデリー,ハリドワール,リシケシュ,コーチのみ。よくインドの観光として載っているところよりかは、ローカルな旅を楽しむのが好き。それには危険が伴うが、私はチャレンジしようと思った。最初の一週間分の宿泊先である3宿、そして北から南まで行く飛行機を予約し、あとはインドで決めようと思った。

インドから帰国してから。


行ったリばったりの、誰も知らないインド旅を経験してきた。ネットで言われているような人生が変わったなんてことは今のところはないが、それでもネットの情報がすべてではないと心から言いたい。私はたくさんのインド人の愛に触れた。みんながイメージするようなインドとは全く違う経験をした。本当にインドが大好きになった。最高だった。ネットの情報のおかげで安全な旅ができた。それでもネットの情報がすべてではない。同じ土地に足を踏み入れても人によって何を経験し何を思うかは全然違う。どうか、ネットの情報で臆病にならずに、ネットの情報で勇気をもらって、そしてあなただけの体験をして欲しい。お金では買えない価値というのはこういうものだ。

YouTubeにインドのショート動画をアップ中↓


あなたがもし、明日この世からいなくなるなら何をしたい?


リシケシュのカフェから見たガンジス川。


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