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半透明になれる場所。


#このお店が好きなわけ

 元々かなりの出不精なため、コロナ以前からあまり頻繁に外出するほうではなかった。職場の先輩は、あそこに新しいカフェができてさ、みたいなおしゃんてぃ情報を教えてくれたりする。都心に実家がある同僚は、この正月に家族でウチの近くの洋食屋さんに行ってさ、とか言ってオードブルだかオーシャンビューだか何だかカタカナが似合いそうな画像を見せてくれたりする。
 私の住んでいるところにもカフェと名の付くものはある。しかし店内を覗くとなぜか取れたて野菜を売っている。一応洋食屋さんもある。しかし空いているのは平日の昼間の時間帯、メインの客層は近くの森林で伐採作業をしているガテン系のお兄ちゃんまたはおじさんたちだ。カフェも洋食屋もそれなりに繁盛してるっぽい。してるっぽいがどちらも私の行きつけにはなり得ない。カフェと名の付く野菜直売所は、お茶しに行っていいのか野菜だけ買って出てきていいのか分からない。洋食屋は仕事の関係で平日は行けない。行けたとしてもツナギを着たあんちゃんたちに混じって堂々とランチセットを食す勇気はない。要するに、未知の場所に飛び込めるだけのフットワークが足りないのだ、情けないことに。
そんな私でも気兼ねなくゆっくりできる場所がある。それはスーパーの一画に設けられているイートインコーナーだ。コロナ でいっとき封鎖されてしまっていたが、最近は徐々に復活し始めた。イートインはいい。何がいいかというと、
①ただぼーっとしてても誰からも話しかけられず、気にかけられることもない。②スーパーで買った惣菜やらパンやらお菓子やら、雑多なものを広げて一人でプチパーティーができる。③買い物ついでにふらっと寄れる。④仕事の合間やまっすぐ家に帰りたくない時に、ちょうど良く時間が潰せる。⑤ちょっとした仕事や勉強もできる。
などだ。これがカフェまたは食事処だと、いずれかまたはいずれも叶えられない。特に私にとっていちばんのスキポイントは①だ。コミュ障の気が大いにある私は、お店やさんに行ってコーヒーのおかわりどうですか、とか、何かお探しですか、とか、話しかけられるとどうしていいか分からなくなる。じゃあそういう場所に行かなきゃいいじゃんよ、と思われるかもしれないが、ある程度社会と接点を持つ機会を作らないと、私は完全ひきこの子供部屋おばさんになってしまう。それに、コミュ障でも無性に一定量の喧騒を欲するときがあるのだ。完全に存在を亡きものにされているわけでもなく、かといって過度に人に塗れているわけでもない、いわば自分が半透明な存在としていられる場所。それがイートインなのである。
ちなみに最近のイートインで印象的だった出来事は、見ず知らずのおじいちゃんとおばあちゃんがめっちゃ大声で喧嘩していたことである。飲食店だったらまず間違いなく店員さんに注意されるか、さもなくば追い出されているところだっただろう。しかしその大声はスーパーの4時のタイムセールの喧騒にかき消されてしまい、気づいていたのはおそらく半径3メートル内に存在していた私とパートの床清掃のおばちゃんのみだった。そのおばちゃんも、気付いてないはずない距離で喧嘩をガン無視してモップで床をがしがし擦り続けていた。強すぎるぜ、おばちゃん。

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