私は内向的なおしゃべり【INTP/5w4】

私は警戒心が強く、心を開いて付き合える人は少ないし、自分から人の輪に入るのも苦手だ。チームプレーより個人プレーが好き。自他共に認める内向的な人間だ。

自分の頭の中では常にいろんなことを考えたり、調べたり、分析したりしているので、本当は誰かに話して、議論し、分かち合いたい欲求もある。一人で考えるより、人と話した方が考えも深まるから楽しいに決まっている。

でも、なかなか他人と深い話をするまでの関係を築くことができないし、自分を解ってくれる人はいないと勝手に決めつけている節がある。

普段もどかしい思いをしているからこそ、たまーに、おもしろい人、わかってくれそうな人と出会ったときの喜びったらこの上ない。この人は解ってくれそう!というのは少し話せば直感でわかるし、その勘は外れない。そういう人を見つけたら、すごくうれしくなって、とにかくよくしゃべる。

あれ、私ってこんなにおしゃべりだったっけ?

最近やっと自覚したのだが、私は内向的ではあるけれど、おしゃべり好きな人間なんだ。決して、「おしゃべり好き=社交的」というわけではない。私とは反対に、口数少ないけど外交的な人もいる。

私は、波長の合わない人と話を上手く続けることは苦手だし、美容院なんかでするような一般的な雑談も下手なので、コミュニケーション能力は高くない。相手を気持ちよくしゃべらせてあげられる聞き上手なタイプでもない。

でも、相手から求められたらとりあえず誰とでも話すし、冗談言って笑わせるのも笑うのも好き。むしろ、1日中無言でいるという方が苦痛で堪えられない。

テーマパークの待ち時間なんて、立ったまま何時間でもずっとしゃべってられるので、待つこと自体に苦はない。それを許してくれる相手と一緒なら。

私は昔から赤ちゃんが苦手で、どうしてなのかずっとわからなかったのだけど、赤ちゃんは言葉を話さなくて何を考えてるかわからないからだということに気づいた。

私はコミュニケーションにおいて、言葉という手段に頼りきってしまっているので、相手が言葉足らずだと、「いったいこの人何考えてんの?」とイライラ・モヤモヤしてしまう。

話の真意さえちゃんと伝わればよいという極端で傲慢な考え方なので、表情や抑揚といった非言語コミュニケーションを軽視しがちだ。その結果、淡々とした一本調子な話し方で怖いと思われたり、誤解されたりしやすい。

学生時代は、外国人の先生に師事していたのだが、自分の思いをその場でぱっと言葉で伝えられないし、微妙なニュアンスまで正確に伝えられる様な英語力が私にはなく、かなりフラストレーションがたまった。言葉を補う非言語コミュニケーションは苦手な上、なんとなく伝わればよいとは思えない性格なので、私には国際結婚は無理だと悟った。

こんな私が、誰かと話をしてて一番うれしい瞬間は、私の意見に対して、反対意見であっても遠慮なく相手の思いを語ってくれたとき。私を信頼してくれてるんだって思ってうれしくなる。

逆に、私が腹を割って話したことに対して、適当に話を合わせてるな…と気づいたら、なんだか虚しくなる。私のことを信用してくれてないんだと思ってしまう。相手にしてみれば善かれと思ってなのかもしれないけど。これって価値観の問題でどうにもならないことだからこそ、私にとっては重要な問題だ。

なにより、私は冗談の通じる人が好き。これまでの経験上、冗談の合う人とは波長が合って、深い話もできる場合が多い。


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