どうして魔女は箒で飛ぶのか?

魔女と聞くと何を思い浮かべるだろうか?
白雪姫の魔女のような恐ろしい老婆?
それとも、ハリー・ポッターや魔女の宅急便のキキような女の子?

私の中での魔女といえば…ヴァルプルギスの夜(4/30)に箒に乗って、ブロッケン山に集まり、悪魔とサバトを開く。カトリックのミサがキリストの肉(パン)と血(赤ワイン)であるのに対し、黒ミサは嬰児の肉と血を飲む。悪魔と肉体関係がある女性。
もしくは、隠居生活の仙女。というイメージ。

悪魔というと、魅力的な人物。ファウストのメフィストフェレスのように、契約を結んだら終わり。人を惑わし、堕落させ、依存させ、支配する… 
抗えない欲望とか、人の心の中にあるものかもしれない。

近代クラシック音楽でいったら、サティやスクリャービン、神秘主義の作曲家が思い浮かぶ。リストやパガニーニは思想や曲そのものというよりも、本人が魅力的で悪魔的って感じがする。パガニーニは悪魔と契約したと言われ、死後教会から埋葬を断られている。

悪魔の話はさておき、大和岩雄『魔女論ー魔女はなぜ空を飛び、人を喰うのか?』という本を図書館で見つけた。

そもそもなんで魔女の本?っていうと、大学時代ドイツ語の授業で触れられて悪魔と魔女に興味をもったものの頭のすみに長年放置していたのと、最近ふとひらめいた仮説を検証したかったから。(高校時代にもそこそこ興味あって電子辞書で調べていた。)

この本は10年以上前に出版された様なのにとてもきれいでラッキー。魔女に関する膨大な情報量と絵画。

図書館は本屋さんにないようなニッチな本やいったい誰が買うんだ?と思うような学術的な本が豊富にある。私は恥ずかしい本ばかり借りるので自動貸出機と返却機があるのもありがたい。本棚での人目が気になり、挙動不審で余計に目立っているかもしれないが…(何も悪いことはしていないのに!)

読みとばしているため、誤解もあるかもしれないけれど、以下書き留め。

ーーー

①お産婆さん(今でいう助産師)と箒と魔女

お産婆(多くは農家の主婦)は、薬草を使って禁止されていた避妊・堕胎もしていたから、教会から危険視された。
お産婆さんは、お赤ちゃんが産まれると、悪霊が子供に害を与えないように家の入り口をで掃いた。箒はお産婆のシンボル。
→魔女は薬草に詳しく、薬草でできた飛び軟膏を体に塗ってに乗る。

赤ちゃんが産まれるとお産婆さんとお母さんと親戚・友人の女性たちだけで祝祭をしていた。
→それがサバトと結び付いた。

母と子の生死を支配し、赤ちゃんをデーモン(悪魔)に奉献しているとして、お産婆は、魔女と同一視された。

お産婆はマリアのイエス出産を疑った伝説があること。お産婆は死産の胎児の洗礼をよく拒絶していたことからもお産婆→魔女とされたことに関係あるらしい。

②なぜ魔女は赤ちゃんの血と肉を食べるか?
子供を生贄にしていたといわれたユダヤ教の秘儀あるいは初期キリスト教(異端的な)の秘儀かららしい。


③なぜ空を飛ぶ?
悪魔がくれた(または魔女がつくった)飛び軟膏を塗って、箒にまたがり、飛翔する。性的エクスタシーを意味する。時に絵画の中で箒でなく牡山羊にまたがっている。
箒や牡山羊(牡鹿も)→男根の象徴。
牡山羊は性や悪魔の象徴でもある。

→ユダヤ・キリスト教ではエロスを悪とみなしていた。


ーーー

感想》

キリスト教から視てタブーを犯す異端的な存在や、生死といった人智を越えたものを掌握する存在(お産婆など)を魔女としていたんだろう。

アダムがイブと結ばれる前の恋人リリスが、最初の魔女らしい。西洋占星術のリリスだ!と思った。

牡山羊の象徴に関してはタロットの悪魔も牡山羊の角が描かれている。山羊座も悪魔的ともいわれる。対極にある蟹座(母性)に対して父性とも。

動物の角が男性性を意味する。ドラマ版ハンニバルの度々出てくる牡鹿もそういう象徴的な意味を含んでるんだろうな。

それにしても、箒に乗るのは女の魔女だけ。ハリー・ポッターは男も箒に乗ると言う点で、画期的である。しかも、移動手段というより、クィディッチというスポーツに使われる!

ーーー

図書館で他にはドン・リチャード・リソのエニアグラムの本も借りた。こちらは、完全版的な情報量だが、難しくてあまり頭に入らずピンとこない。

明晰夢(見たい夢を見る方法)の本も借りたが、本気で実践すると、レム睡眠に偏って眠りが浅くなりそう。しかも疲れそう。
簡単にできるところでは、具体的に見たい夢を思い描くといいみたい。
ex)空を飛びたい→○○の空を飛びたい。
少々取り入れたところでは、近い夢(50%ほど)は見れた。

私は人生の1/3以上は寝ている。ワクワクしたり、時に仕事のアイディアが浮かんだりして、夢から影響を受けることもある。私は夢の中の方がアクティブで旅行もする。「寝てる時間がもったいない」と人に言われたこともあるが、夢も人生の一部と思った。(当然現実で夢の内容を共有している人はいないけど。)

川を隔てて現実の世界と夢の世界がある的な捉え方、いいなと思った。起きてる時間と夢の時間を毎日交互に行き来していることは、ある意味ダブルワーク(二足のわらじ)的な感じだ。

どうせだったら、現実の延長のような仕事の夢ばかりではなくて、楽しい夢をみたい。

図書館の返りにタピオカを飲んでおいしかった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?